面積と生産量の実態
うちの農園は、代々農家をやっているだけあって、田んぼと畑を両方とも持っている。
後継者で田んぼをやっている人は、代々農家、という人が多い。江戸時代から明治にかけての農地の所有の変遷を考えるとそうなるのだ。
昔は畑より田んぼがメインだったけれど、今は技術の向上で、少ない農地でも収量の多い品種の米を作れば収量が上がって、それがかえって米の安値になってしまっているのが、田んぼ農家としては辛いところだ。
畑はというと、田んぼにならないところや、田んぼとは別で作物を作っていたところにあった。その後、荒地を開墾したりして農家になった人が出てきた。
そもそも、戦前までは農家が多数で、職を求めて農村から都会へ農家の長男以外が出てきてサラリーマンになっているので、農村に残り農家を続けてきた人の方が減ったのだ。
農家の高齢化で、最近は新規就農の取り組みが増えて、だいぶ定着してきた感じがする。
さて、うちでは家族経営でたまに人を頼むけれど、基本的に作業するのは自分たちだけだ。
それで畑(簡易雨除けハウス)が70a、田んぼは昔より増えて6.5ha、この辺りでは規模が大きい方だ。
田んぼは転作については外部委託しているので、米だけ作っていて、畑の作業をしている合間に義父がトラクターで起こしに行って準備して、田植えと稲刈り、籾摺り出荷は私たち夫婦でおこなう。
畑の作業も一年中ほぼ休みなく、自分たちで手入れしていて、直販もできる範囲でしている。
規模が大きくなると、その分手が回らなかったり、病気の蔓延、台風などの被害でロスが出たりするものだが、うちは病気で全滅したり、台風で施設が壊れるなどのことがない限り9割は収穫、販売に回せるようにしている。
大きな面積をいかに手早く作業して秀品率を上げるか、というのを毎年の作業で身体で覚えている。
なので販売価格は知人に言わせると、もっと高くていいのに、というところに落ち着いている。
それでも義父たちの代の値段よりかなり上げている。直販の作業をする人件費が含まれて無かったからだ。
あまり価格を上げてしまうと、一部のセレブ向けになってしまい、食べてもらいたい若い世代が手を出しにくくなってしまうと考えた末の、現在だ。
最近、新規就農で数年経つような世代と話をする機会が増えて、それとなく栽培管理や販売について聞いていると、SNSで発信している事と、実際に理解していることがチグハグな印象を受けることが多い。
教科書で学んだことが、まだ経験と繋がっていないのだろうなと思うのだが、それ以上に農地が少ないから自分で試験してみたくてもなかなかできない、あるいは少量試しに栽培してみてわかったつもりになっている、のかもしれない。
同じ作物でも促成、抑制栽培では管理の仕方が違う。なのに、前年に抑制の時期に作ってうまくできそうだから促成の時期に同じ感覚でやろうとしていた時には、管理の仕方が違うよと余計なお世話かもしれないが説明した。
そういう人たちに、収穫は9割近くでロスはほとんど出さず、廃棄するものは無いようにしていると言うと驚かれる。
それだけの技術がないと生活できないのだ。
一方で少量でしか作れない人たちは販売額を上げる。そうしないと生活できないからだ。
その品質は私にはわからないが、SNSで集客し、農業を知らない人からしたら値段が高いからそれだけすごい品物だと思うのではないかと思う。
そういう事例をよく見るようになって、自分が作っている作物は卸先から太鼓判をもらっているが、消費者からみたらどうなんだろう?と不安になってくる。
ほかの人たちと大差はないのではないかと。
これが定着していくと、農地を広げなくても稼げる人と、広い農地を延々と休みなく管理する人と分かれていくのだろうか。
そこに技術があってもなくても、情報発信さえ上手ければ価格の差に反映させられるのかもしれない。
少ない農地でいかに効率よく稼ぐか、自分たちのストーリー作りに熱心な人たちを見ていると、自分も自分なりのやり方で情報発信をしていかないと、乗り遅れてしまうなあと考えさせられた。