『JKからやり直すシルバープラン』を読んだバブル期の若者
『JKからやり直すシルバープラン』を愛読しています。最新刊の第3巻は大きな本屋さんに行って、発売日に買った。登場人物が皆かわいらしく(親目線)、2度目の人生を生き直している小百合の心の成長が頼もしく、話はどんどんスケールが大きくなってゆき、と言うことのない面白さです。ちょうお勧めです。
マンガの舞台の1990年。わたしはとっくに物心だってついていて、若者だったなあって思い返しています。このマンガには描かれていない(描く必要が特にない)バブル期の若者の心情だって経験しておるんじゃ。遠い昔だけど、マンガを読んで思い出してしまった。
今から書く文は、明治時代の人が慶応期の若者の心情を語る、っていうものに近いと思うけど。江戸時代の終わりの若者の揺れる心情。これは読みたいかもしれない。バブル期の若者の揺れる心情は、はっきり言ってニーズが無いと思うけど。
バブル期は日本にリソースがたっぷりあった今思えば「たいへんにいい気な時代」(前提条件)だったので、若者に対して「ソツなく生きなさい」という同調圧力はたいそう高かったように思う。全員がソツなく生きるリソースはなんてったってある(はず)なのだから。外れて生きるなんて意味がわからない。歴史の暗部には目をつぶっていた上のお話ですが。まあ、インターネットがなかったから、社会問題を知るのも当時敷居が高かったし。
豊かな日常が終わり無く続き、そこを自分の力量と関係なくソツなく生きなければならない。自分が今、生きているという実感が乏しい。そんな状況に心中で絶望してた若者は多かったし、斃れたり命を落とす若者も結構いた。
そんな心情が、後のオウム事件に続いたりするんだと感じてた。
熱く命を燃やして生きる、という道はごく稀な才能を持つ人たち(甲子園を目指す強豪校の人とか)にのみ許されてる感じ。団塊世代が学生運動を激しく行い失敗(と書いてしまう)したおかげで、バブル期の一般若者には既にその道はふさがれているという雰囲気。ソツなく生きるという一本道。
(個人的に、わたしには障害を持つ家族がいるので、その一本道から外れた道があることは知っていた。障害を持つ人がソツなく生きるのは、なかなか難しいからね。いろいろ大変なこともあるが、良いこともいっぱいあったよ。)
ここまで書いて思う。今の目で見れば、まあいい気なものですね。転落すれば、即生命にかかわり生存すら危うくなる現代のリアルな厳しさから見れば、本当に。ただ当時の若者もまたただの若者なので、歴史的に自分の立ち位置を見るといった視点は欠けていた。現状しか知らなかったので切実に絶望してたように思う。因果である。
団塊世代にバブル世代が抑圧されていたように、バブル世代が現若者世代を抑圧している。実害ももちろんあるだろうが、多分存在しているだけで抑圧している。身のすくむ思いである。因果が巡っている。
しかしながら団塊世代は多分、戦中や戦前世代に抑圧されていたんだろうなって後に思ったのだ。
ということは将来、現若者世代は今の乳幼児世代を抑圧したりするようになるのだろうか。歴史は巡るのだろうか…。
などとつらつら思うことを書いてみたけれど、次は『異世界おじさん』をまとめて読んでみようと思っている。誰もわたしにおもしろいマンガを薦めてはくれないので、Amazon先生に従ってみる。