「近鉄バファローズ 猛牛戦士たちの記憶」展 於:野球殿堂博物館
正直、コロナの変異株がこわいのです。いまさら罹りたくないっすよ。
が、2004年に消滅した近鉄バファローズのファンとしては、居ても立っても居られない感じで野球殿堂博物館まで行ってきました。わたし、東京生まれの東京育ちですが近鉄ファンだったのですよ。80年代はそういう人は、東京にも多かったと思う。(言い切る)
西本幸雄さんのユニフォームが入り口でお出迎え。
わたしにとっての「御大」とは、なんと言っても西本幸雄監督のことです。唯一無二の御大と言っても過言ではない。西本幸雄さんが亡くなった日は喪に服すので夕飯は作れない、と新婚当時から夫に告げていたほどです。(そして2011年にその通りのことになった。)
仰木彬監督のジャンパー。80年代に近鉄のコーチだった仰木さんのことを、今は亡き後楽園球場で間近に見たことがあります。色白で、往年の色男ぶりが子供のわたしにもわかったっけ。眼差しがたいへんに綺麗、という印象の人でした。監督は気苦労が多いのでしょう、仰木さんは1987年に監督になってからすごい勢いで歳を重ねていった気がする。
それにしてもあの頃の憧れのおじさまたちは、みんな鬼籍に入ってしまいました。
80年代のビジター近鉄ファンの憧れ、日生球場。ガーガーいうラジオ大阪でかろうじて聴き取れる近鉄戦の舞台は日生球場だった。せまーい球場だったらしいけれど、行ってみたかったなあ。
野茂は千葉マリンで観たなー。頭蓋骨にヒビが入っているという状態で、どかどか重い球を投げていて本当にかっこよかった。荒れ球って感じだった。あれは、1990年なのね。ホームグラウンドでのロッテファン数も、まだ少なかった頃。
コロナ回復記念!梨田さんこんにゃく打法ユニ。もう新地に梨田さんは飲みに行っていないのだろうか。
時代は下り、2001年の優勝の頃のいてまえ打線の頃のユニ。
上は代打逆転優勝決定サヨナラ満塁ホームランを打った北川博敏のユニ。2001年は神宮に日本シリーズを観に行った。古田の攻めに中村紀洋辺りは苦しんでいたが、北川は観ているわれわれの頭が下がるような、巧いとしか言いようのないシュアな打撃を魅せてくれた。あれが後に北川が、ヤクルトの二軍打撃コーチになった遠因だと思っている。
最後の打者の藤井彰人がキャッチャーフライで打ち取られ、近鉄バファローズは破れヤクルトスワローズの優勝が目の前で決まった。子供のころからずっと好きなものに対しては、大人は無防備に童心に帰ってしまいがちである。涙ぐみながら、これからもずっとわたしは近鉄ファンだなーって強く確信した2001年10月25日でもあったが、3年後に近鉄バファローズはなくなってしまった。
でもまあ、近鉄バファローズはどうしたって永遠なんだけれどもね。