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消費行動の体験選択モデル

消費行動とコミュニケーションのモデル


消費行動モデルあるいは広告コミュニケーションモデルと呼ばれるものはマーケティング領域では数多く提唱されてきた。その代表的なものといえばAIDMA、DECAX、SIPSといったあたりであろう。広告やマーケティング・コミュニケーションがどのように消費行動に結びつくかを表現しているそれらは、時代ごとに改良され提唱されてきた。その変遷を追うと、メディアとマーケットの変遷の歴史が読み取れて、それ自体重要な研究対象ともなる。
これらのモデルを外観すると、消費に(というよりは購入に)つながる行為への道筋を示すことが目的であることもあって、むしろコミュニケーションそのものの様相については、消費者がマーケティング的メッセージに触れることを暗黙の前提としておいていて、そのあと何が起こるのかを解明することに主眼があるように見える。そのためステップを踏んで消費者の情報処理行動が進展していくという「段階的モデル」になっていることが多い。拙稿[^1] においてもそのように指摘した。
他方で、マーケティングコミュニケーションへの消費者の接触については、精緻化見込みモデル [^2] 、低関与学習理論[^3] など多様な研究が行われており、必ずしも直線的なステップで情報が受容されるわけではないこと、消費者の状況や特性によりその様相は異なること、なおかつ意識的な情報処理は行われていないことなどが明らかにされてきている。現代的な消費者行動を説明するには、今までのモデルでは不十分で、より消費者の置かれた状況にそうモデルが求められていることになる。もちろんここについて数多くの研究が存在するが、原則として「いかにして商品を市場に投入するか」に応えようとするケースが多く、そもそも消費とはどういう行為なのかを考えるものは意外に多くない。
ここ数年は特に、オタク的消費に始まり、応援消費・推し活消費などが巷議にのぼることが増え、これにともなうモデルの提示が実践的な場面でなされることも多い。なにやら消費の様相が変化しているからマーケティングの商法やツール、コミュニケーションのあり方も考え直すべきだといった議論にも聞こえる。サブカルチャー的消費は既存の消費行動とは異なるとされてきたのが通例であるが、それが一般化した、とみてそうした議論となるものが多い。しかしサブカルチャー的といわれる消費行動を観察調査していくと、それらはけして特異な消費行動ではなく、市場が成熟してきた時の体験マーケティング的な様相であることがわかる。おそらくACG[^4]、アイドルなどのマーケティングが、市場の動向を意図せずに「先取り」していただけではないかとすら思えるのである。そしてその構造はけして新規な奇異なものではなく、これまでも議論されてきた行動分析や行為の分析の枠組みで捉えるべきものであると思われる。
そうした問題意識のもとで、特にポップカルチャーやサブカルチャーと呼ばれる領域での消費行動をながめてみると、それらの行動の目的が、単になんらかの欲求を充足しようとしていたり、なんらかの緊張状態を解消しようとしたりしているのではないことに気が付く。「推している」アーティストがCDなどを販売すると「買わせていただく」「義務として購入する」などの行為は、それ自体の目的は明瞭ではないものの、「推している」という状況そのものによって導き出されている。そこで消費者が選択しているのは「購入」という行為ではなく、「推している」という体験なのではないかと考えられるのである。この前提に基づくのが「体験選択モデル」である。

[1]: 『体験選択による購買・消費行動とコミュニケーションモデルの検討』放送と表現 2022
[2]: Petty, Richard E.; Cacioppo, John T. (1986). Communication and persuasion: central and peripheral routes to attitude change. Berlin, Germany: Springer-Verlag.
[3]: たとえば、Krugman, H. E. (1965), "The Impact of Television Advertising: Learning Without Involvement,"The Public Opinion Quarterly, Vol. 29, No. 3,、、土橋治子,低関与状況下における消費者の情報処理,マーケティングジャーナル, 2002など
[4]: Anime Comic Game の頭文字

体験選択という概念


「体験選択」という言葉そのものは、社会学における「行為論」の枠組みの中で高橋が提唱している概念[^5]である。社会学においてはウェーバーに始まる行為論の中で、社会的行為の目的と構造から社会を明らかにしようとしてきた。その中で人間の選択は、ある状況でどのような行為を選択するかにある。通常、選択は、複数の対象や行為の選択肢の中から一つを選ぶことにあるが、高橋の体験選択はそうではない。体験は「魅了される」「はまる」といった状況のように、行為の主体がその基本的な主体客体の区分を失った状況で起きる。この時、「鍵」となる対象(それは選択される体験そのものとは異なる場合が多い)によって主体の「防衛態勢が解除」され、鍵対象を含む体験全体が選択される。それはいわは主客が溶融している状況でおきるので、計画的・意図的な選択ではない。
こうしてある「体験」が選択される、つまりある体験が成立すると、これそのものが対象との関係を構成する。その対象に対するさまざまな行為がみられるようになる。この体験選択は高橋によれば「超個体性」がある。すなわち既存の規範に基づく社会的行為が選択されるのではなく、むしろそうした規範や共同体に拘束されない、開かれた体系に基づく、としている。
高橋は例として「山に魅了された人」の事例を挙げる。山に登る人は、さまざまな困難があっても、たとえば凍傷になって傷を負ってもまた山に登るという行為を選択する。それはなぜか。それは「山に登ること」という体験そのものが選択されているからである。なんらかの鍵となるもの、自然の雄大さや山頂を征服した達成感などによって「山」という対象への防衛態勢が解除され、魅了される。そのことにより「山に登るという体験」全体が選択され、山という対象と主体の関係が構成される。そして「つぎはいつ、どこの山に登ろうか」という行為が探索されるということである。
高橋の議論は、行為なのか制度なのかという社会学の根源的な二項性に対して「体験」「感情」という切り口から新たな分析枠組みを求める過程で生み出されたものだといえる。しかしこのアイディアは、同じく選択を基礎とする消費場面を考えるときに大きな示唆を与えてくれる。

[^5]: 高橋由典『感情と行為ー社会学的感情論の試み』新曜社,1996. 『社会学講義^感情論の視点』、世界思想社,1999. 『行為論的思考ー体験選択と社会学』ミネルヴァ書房,2007.

体験選択モデル


体験選択モデル


上記の高橋の議論を参考にポップカルチャーやサブカルチャーにおける消費行動に応用してみようと企図したものが「体験選択モデル」である。高橋の議論からインスピレーションを受けて心理学的に捉え直したものなので、元来の体験選択の議論とは異なるものであることには注意をしてほしい。人はその行動を選択するのではなく、まず体験を選択しているのだと言う過程を、心理学的な消費行動モデルとして考え直したものである。
このモデルでは2つのパートからなる。
第一のパートが「体験選択」パートである。なんらかの対象に「防衛態勢を解除」する段階といってもいい。この「防衛態勢を解除」するものを「鍵刺激」と呼ぶ。
鍵刺激は、消費者個人・主体の感情に大きく作用するなんらかのものである。人の持つ欲求の充足、期待などの感情を惹起しうるものと考えている。アイドルであれば見かけ、声、ちょっとした仕草や行為、言葉、歌。さまざまなものが考えられるのだが、何が「鍵刺激」になるかは主体との関係による。その人の「感情を揺する」何かであるので、何がその主体の感情を揺するのかは大きく個人差がある。またおそらく、主体がその経験を言語化することも難しい。やや乱暴を覚悟で言うのならば「好きになるのに理由なんてない」のである。この鍵刺激によって主体の防衛態勢は解除され、その対象が受け入れられる。つまり対象と共にあるという体験が選択されるのである。
第2のパートが「理由づけ情報の探索・提供」である。これはどちらかというと理性的な状況と考えている。ここでは「防衛態勢の解除」を継続するかどうかの情報が探索される。というよりは「継続していいのかどうかの情報」が探索される。
主体的に探索する場合もあれば、受動的な場合もある。アイドルで言うならば「推す理由」を探す、あるいはそれが供給される、に相当するものである。おそらく推す理由は、アイドルの運営サイドから次々と供給されたり、あるいは主体が積極的に探索したり生成したりと言うことを反復する。このパートは情報がある限り継続する。いうなれば「推す言い訳」が供給され続けたり、あるいは自ら探し続けたりするパートといってもいい。言い訳に相当する情報がなくならない限り対象への「防衛態勢の解除」が継続される。となれば選択した体験(推すこと)のための行為(推し活)が続いていく。
態度変容における精緻化見込みモデルでは、説得メッセージを受け取る動機づけがあって、理解が可能で、情報処理が行われるときには「情報精査」による説得ルートとなり、そうでないときには周辺的手掛かりによる「情緒的・感情的」説得ルートとなるとしているが、この「防衛隊施解除継続の理由づけための情報」と「鍵刺激」とはそれにも相当するのではないかと考えられる。優秀なマーケティングコミュニケーションは、まず情緒的な手掛かりで感情を活用した短期的な説得を行いつつ、しっかりと情報を提示してより精査することによる長期的な説得も行なっていると思われる。これを体験選択モデルで考えると商品への防御態勢を解除するための感情的な「鍵」と、解除を継続させるための「情報」を同時に与えているコミュニケーションデザインは優秀だ、と考えればいいことになる。

鍵刺激


体験選択を生み出す「鍵刺激」であるが、これがどのようなものなのか、は、かなり難しい問題である。ポップカルチャーにいわゆる「はまる」状態にある人々へのインタビューを長く継続して行なっているが、いわば「きっかけ」となったことについては明瞭な回答が得られることはまずないといってもいい。なぜ「はまったか」についてきっちり言語化できるケースはあるが、よくよくたずねていくと「みんなに聞かれるからそう答えているうちにそう思うようになった」といった場合も多い。かつて「なぜ山に登るのか」と問われた登山家があまりに頻繁に聞かれるので「そこに山があるからだ」と答えて質問を断ち切ったように、「鍵刺激」で「防衛態勢が解除」される状況は主体が理性的に機能はしていない、いわば無意識下のプロセスによって対象の体験選択が行われている、意識的ではないプロセスであると判断せざるを得ない。
であるから「どのような鍵刺激が有効か」という議論は直接的には困難である。それは特定の対象の防衛態勢を解除しようと鍵刺激をデザインし、かつそれを計画的に配置することは難しいと言う意味である。しかし鍵刺激となり得そうなものを想定することは不可能ではない。人が何に魅了されるか、どのようなことものに感情を動かされるかについては、それなりに多くの知見はある。
マーケティング上の問題は、ターゲットとなる消費者にどんな鍵刺激をどう配置するかということになるが、その解決法の一つが複数タッチポイントの配置であると思われる。ブランドなり商品なりの「魅力」の提示を単一の方法で特定の場所のみでおこなうのではなく、さまざまな角度から、さまざまな場所で行えば、それらの提示が「鍵刺激」となる確率が上がってゆく。個人によって鍵になり得るものが異なる以上、多様な鍵を用意することが実は合理的な解決であると言うことになる。応援消費でも、推し活マーケティングでも「ブランドへのタッチポイント」の多様性・多数性はよく強調されているが、それはかなり有効なのだと言うことができるだろう。

理由づけ情報


防衛態勢が解除されたあとは、おそらく多くの主体が解除のための理由づけ情報を検索する。これは人が他発行為より自発行為を好むためで、自らがある行為を選択した際、その帰属をできるだけ自発性に求めようとするからであろう。自ら言語化できる理由がある方が認知的不協和が少ない、と換言することもできよう。こうして多くの場合、選択された体験は選択され続ける。したがってその理由づけになりうる情報を提供することは、消費者の体験選択を維持する場合には重要なポイントでもある。この場合にも、可能な限り多角的な理由の明示があれば、理由づけのコストが下がってゆく。
しばしば観察される現象だが、やや高額な商品を購入した後には、その商品についての記事やカタログ情報などを参照する消費者は多い。これは選択した商品についての選択の「理由づけ」情報としてカタログ情報や商品の機能説明などが使われているものと考えられる。実はこうした情報提示は、鍵刺激として機能するだけではなく、理由づけ情報の探索にも有効なのである。タッチポイントの多さと多様性は、この場合にも有効なのである。

この体験選択モデルで考えると、現代の消費行動にとって、なぜ複雑な経験提示型の情報が重要なのか、なぜ多くのタッチポイントを用意することが有効なのか、など、さまざまなことが理解できる。かなり有効なモデルかもしれないと思っている。
このモデルについてのさらなる議論は、また稿をあらためたいと思う。


とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。