おじいちゃん
夏くらいから、おじいちゃんの体調が優れない。
祖父母は隣の隣の駅に住んでいて、週末は息子である父親が2人の買い物のために車を出している。
おじいちゃんは退職してからも地元の体育館で週に2,3回運動をしていた。
しかしここ1年くらいでそれもリタイアして、病院以外で出かけることはほぼなくなった。
歩くことに支障があるわけではないが、日々衰弱しているのを感じる。
今日、姉と一緒に1ヶ月ぶりくらいで祖父母の家に顔を出した。
父からここのところ体調が悪いとは聞いていたが、いつも着替えてシャンと迎えてくれていたおじいちゃんが、寝巻きのままで顔がひと回り小さくなったように痩せていた。
リビングの椅子に姉と腰掛けると、「突然2人の顔が見られて嬉しい。忙しいのによく来てくれたね。」と涙を見せた。
おじいちゃんのそんな姿を見たのは初めてだった。
私は大学生の頃はほぼ毎月顔を見せに行っていたし、入社しても自粛期間を除いては2ヶ月に1回くらいは必ず行くようにしていた。
だから会うのはそこまで久々でもないはずなのに、突然涙ぐんだのだ。
もしかしたら自分自身、ここ数ヶ月で体調が悪くなって思うように身体を動かせなくなったことで、この先長くないことをどこかで感じているのかもしれない。
そんな中、孫に会えることが本当に心から嬉しい、ありがたいと感じているように見えた。
その瞬間、いつもいるのが当たり前に感じている人がいなくなるときが確実にやってくることを私は悟った。
かつては同居もしていてすごく近しい存在だった。
おじいちゃんは事あるごとに、自らの経験をもとに人生での教訓のようなものを語ってくれていた。
しかし、そんな力強さは今日のおじいちゃんからは感じられず、ただ自分が日に日に老いていくことに対する悲しみを受け入れているようだった。
こういう状況下、さほど遠いわけではないが、離れて暮らしている私にできることは何なのだろうか。
私達孫の存在をただ尊く思ってくれているおじいちゃんに、私ができることとは、と考えた。
ひとまず、ほぼ会えない日が続く中で、おじいちゃん宛に私の日常を綴る手紙を出してみようと思い立った。
会えたとしても、耳が遠くて私の伝えたいことも事細かに伝わらず、うまく会話ができないからちょうどいいかもしれない。
ただ私の仕事のことや、その日感じたことを文字にして送る、というのを始めてみようと思う。