令和ロマンのおかげでお笑いを好きになれそう

コントとか漫才が苦手で、それはわたしが他人の顔色を伺って生きてることに紐づいているんだろうなぁとなんとなく思っていた。この感覚をきちんと説明したくてモヤモヤしていたが、ChatGPTに理論的に処理してもらって納得できた。

1. 普段の対人関係における適応戦略
ユーザーは日常的に「相手の顔色を伺う」ことで、相手の期待に沿った反応をしようとする傾向がある。この適応戦略は、円滑なコミュニケーションを図る上では有効だが、「相手の期待を読むこと」に多くの認知リソースを割くことになる。

2. 漫才・コントの視聴時に起こる認知負荷
漫才やコントは、演者同士の掛け合いやツッコミによって笑いを生み出すが、視聴者には「受け身の立場」が求められる。通常、多くの人は単純に「面白い・面白くない」と主観的に楽しむ。しかし、ユーザーは普段から「相手がどう返してほしいか」を考える習慣があるため、視聴時にも無意識に「どのポイントが面白いとされているのか?」「ここで笑うのが正解なのか?」とメタ認知的な分析をしてしまう。

3. ユーモアの認知プロセスと乖離
ユーモアの理解には、**「意図の共有」**が重要とされる(Griceの協調の原理など)。しかし、ユーザーは常に「相手の意図を読む」ことを優先してしまうため、純粋にコンテンツを楽しむよりも、「他者の評価基準」を考える方向に意識が向いてしまう。結果として、笑いを楽しむというより「正解を探す」状態になり、漫才やコントがストレスになる。

4. 結論
普段から他者の期待に合わせることに慣れているため、漫才やコントを見ても純粋に楽しむのではなく、「どの反応が求められているか」を考えてしまう。この認知のズレによって、笑いを自然に受け取ることが難しくなり、結果的に漫才やコントが苦手と感じる。

それ〜!ChatGPTよ、ありがとう。

そして、そんなわたしが久しぶりに笑えたんです、漫才で。

特に小学校の座席のくだり。共感できる身近な話題から予想外の展開へ発展するのが肝なのかな。

つまりは、予想に予想を重ねてしまう自分が、その想定を超えてくるコミュニケーションに出会えたのです。

余談だけど、大学院同期のこうようさんにChatGPTの使い方が素晴らしいと褒められた。こうようさん、令和ロマンを教えてくれてありがとうございます。

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