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あのとき彼らの言ったこと

雑記。

2012年7月、うつ病あけに大阪でプロカメラマンになった。
宣言しただけ。今日からプロです、お金もらいますよ、と言っただけ。

その時点で20年以上フィルムでしか写真を撮ってこなかったから(旅行にいくときは母のCanon EOS kiss?を借りていってたけど)、当然フィルムでしか自分の写真を撮れなくて、デジタルを買ったけどしっくりこなくて、これで何がプロなもんかと思いつつ
自分の写真は好きだった。自分なら、自分の写真にお金を払う。だからきっと払ってくれるひともいるはずだ、とも思っていた。

そうしてプロ宣言して、まったく稼げないままに2年カメラマンと名乗ってそのまま、岐阜に引っ越した。
プロになってから岐阜に引っ越すまでの2年間の思い出してしまったはなし。

あの頃、学生と多く接した。
その中で、モデルになってくれたひともいたし、カメラを教えてほしいと言ってくれたひともいた。そう、「小池さんみたいな写真が撮りたいんです」と彼らは確かに言った。

マニュアル操作から教えたひともいたし、感情を写真にのせるその方法を伝授したひともいた。私は、何も教えられる程実績はないけれど、ちゃんと写真が撮れるという自負を、彼らにも教えたつもりだった。
そうして彼らは写真を愛し、追求し、プロになっていった。
家庭をもつ、ということが最優先だったわたしとは違い、彼らのスピード感は尋常ではなく。
悔しいなと思う事もあったけれど、着実に、その端々に、なんだかそう、わたしの遺伝子がすこし、世に残っていったような。こどもが育っていった、ような。無償の愛が、わたしのなかにあった。
彼らが実績を残して行くたびに、鼻高々だった。


今思えば、すべて、バカらしい社交辞令だったのだだということが理解できるようになった。
わたしもちゃんと、おとなになった。

彼らに残したつもりの、遺伝子は
もともと、存在しなかったのだった。

彼らは自分で考えた、と思い。
自分で道を切り開いたのだと、言い切るのだから。

悩んで、泣いて、一緒に考えたあの時間など、彼らの中に1ミリも残っていないんだってこと。
ちゃんと、知ったよ。


「なれ合いは悪だ」と尊敬する写真家は、言う。
ああ、まったくその通りだった、と今日も思う。

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小池 菜摘
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