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ドクオヤが与えてくれるもの

ドクオヤ問題。

これは育てられる側も、ドクオヤと呼ばれちゃった側も辛い問題だなと思います。

私自身ものすごく悩んだ1人なので、その解決が簡単ではないことを、心底痛感しています。

だけど、乗り越えられないことはもっと辛いはずだから、1人でも多くの人が乗り越えられることを願って、私が乗り越えた方法をまとめてみます。

1.物理的距離を置く

ドクオヤって、自己不信から抜け出せなくて、精神的に1人で生き続けることが難しい、自分のことを責め続けてしまう人間がオヤをやっている状態のことと定義できると考えています。

こういう状態に陥ってしまった人間は、自分で自分を信じられるサイクルを取り戻すまで、周囲にいる人間を、自分の不安から傷つけ続けます。

自分で自分を信じることができないから、他人に”信じさせてくれること”を求めて、どんどんと依存的になっていきます。

自分で自分の価値がわからないから、他人に”僕/私には価値があると思わせて”と、承認されることを求め続けます。

こういう人と近くにいると、あなたは、その人が自信を保つため、その人がその人自身の価値を感じるために必要な脇役としての役割を、結果的に背負わされてしまいます。

これではあなたが、あなたの人生に集中できないことは当たり前で。

なので、あなたにとってもオヤのためにも、いち早く物理的距離を置いた方がいいと思います。

共倒れするよりも、あなただけでも先に、自分の世界に花を咲かせることを選んだ方が絶対にいいと私は思います。

ずっとお互いに文句を言い合って傷つけ合いをし続けても、誰も本当の意味で幸せを感じることはできませんが、あなたの人生に花がさけば、オヤを引き上げてあげることだって、あなたの選択次第でできますし。

急がば回れ戦法です。

2.ドクオヤに嘆く自分を絶対に責めない

ドクオヤの辛さって、経験したことのある人にしかわからないと思うんですよ。

中には辛さを隠して人生を無理やり推し進めて、それなりの社会的成功を手にしている人たちにも出会いますが、大概の人がパートナーとの関係、つまり自分の恋愛や結婚をうまくいかせられていない人がほとんどです。

こんなこと他人である私が指摘するのは余計なお世話なのはわかっているんですが、、、。
どうしてもはたから見てて、ある種の不自然さを感じてしまうところがあるので、正直に言わせてもらいました。

私は欲張りな人間なので、どうせだったらお金も大好きな家族との関係も全部ほしい!!

だから、無理やり押し進めるのではなくて、無理やり自分に言い聞かせて「これでいい」と思い込ませるのではなくて、自分に素直になって、本当の意味で感謝できる状態まで自分と向き合い続けました。

その過程で大事だったことは、絶対にどんな自分も責めないことです。

と言っても、そもそも親から愛されている安心感を得られないドクオヤ問題は、自分を責めないことがすごく難しいと感じました。

誰かに相談すれば、「オヤの愛情でしょ」とか言われちゃうし、自分でも、親を大事にできない自分てダメなやつなのかなって、親という立場の人間が持つある種の”権力”に潰されそうになるんですよね。

だけど、これらは一切気にする必要がないと思います。

最終的に本当の意味で感謝できて本当の意味で丸くおさまれば、それは、自分を偽って感謝しているふりをして水面下で問題を続けることより、よっっっぽど良いことだと思うんです

大事なことは乗り越えることで、過程まで全て綺麗である必要なんて、私はないと思います。

嫌なものは嫌でいい。

親だって嫌いになっていい。

それでも自分を責めちゃったら、自分を好きなだけ責めて、

「それだけ苦しんでるんだよね」って「それだけ、本当は親を好きでいたいし大切にしたいんだよね」って最後は自分に寄り添ってあげてください。

そう、本当は好きでいたいし、感謝していたいからこそ悩むんですよね、ドクオヤって。

3.されて嫌だった気持ち、もっとこうして欲しかった気持ちに徹底的に向き合う

恥ずかしいし苦しいかもしれませんが、この過程はすごく大切です。

時にすごくディープな感情も湧いてくると思います。

私が湧いた一番深い感情は、”殺して欲しかった”です。

今だから飄々と話せますけど、その感情に気がついた時は、感情が大きすぎて吐き気までしました。

けど、素直な気持ちだったんです。「そんなに気持ちに余裕がないならなんでうんだの?」って。「大人なら、もうちょっと自分の状況考えて計画的に子作りすれば」って。「自分の責任能力のなさを子供に押し付けるな」って。

この感情で終わったらヒヤッとするかもしれないですけど、感情って感じきったら綺麗に消えていくんで、安心してください。

感じきったら、本当に不思議と「、、、まあいっか!私も悪かったしな!」とか本当に思えてくるんです!

どんなに嫌いな相手にでも、です。

だから乗り越えると決めて、心に仕舞い込んできた自分の感情に、1つ1つ丁寧に向き合い続けてあげてください。

4.『ドクオヤは、あなたの人生をドラマティックにしてくれる、最高の悪役である』

抑圧した感情を感じきって空っぽになったら、もうあとは、自然に心が0地点に戻るのを待てばいいんですけど、ドクオヤにあたった人生の意味を、自分の納得のいく形で落とし込めると、その先一層力強く進んでいくことができると思います。

自分が納得できることが一番大事だと思いますが、参考までに私の捉え方について、書いてみます。

私は今、自分の親を、私の人生を最高にドラマティックにしてくれる、最高の悪役だったと捉えています。

私の母は、もうまさに、シンデレラの意地悪なお姉ちゃんタイプの人間です。

人が自分より豊かになることは嫌だし、平気で裏工作して、人の手に入れたものを奪おうとしてきます。直接的な暴力はなかったけれど、心を引きさく言葉の暴力は強かったタイプで、自分が幸せになるためなら、私や祖母など、家族を悪者にでっち上げることも平気でします。

本気で頭にきていたし、その裏側にある社会の闇に気持ち悪さを感じていました。

だけどおかげで、私は苦境にめげない精神力を養えたし、人生において本当に大切なものは何かを考えるきっかけをもらったし、足元の幸せに気付ける心のめをもらいました。

そして、最高にドラマティックな”私の人生”というストーリーをもらいました。

人を惹きつける映画、魅力的な映画って、魅力的な悪役がつきものじゃないですか。

嫌な奴がいるから正義って輝くわけで、みんな良い奴だったら、正義もへったくれもないわけで。

そう思うと、自然と思えてくるんですよね。

嫌われ役を担うのも、大変だし苦しかっただろうなって。

ましてや自分の子供に嫌われちゃうんですよ。

そんなことを心から望む親なんて、この世にいないだろうなって。

ものすごく胸が締め付けられたんじゃないのかなって。

これはあくまでも私が納得できた解釈なので、あなたに合うかはわからないですけど、あなたにとって「そっか」って思える意味づけをさがしてみてください。きっと人生の見え方が180度変わると思います。

最後に

実は最後にもう1つ、ドクオヤが与えてくれる最高に大きなギフトがあります。

それは、『この課題を乗り越えられた、サバイブできたという自信と誇り』です。

今は答えのない時代と言われています。誰もがサバイブを強いられています。

そんな中、一足先にサバイブを経験した私たちは、茨の道を突き進む方法を知っています。

自分の力だけで人生を前に進める方法を知っています。

ドクオヤ問題を乗り越えた私たちは、自分でなんでもできることを知っています。

これって、最高のギフトなんじゃないのかなって思うんです。

試練を乗り越えることで得た本物の自信は、何物にも変えがたい、努力で手に入る最も価値のあるものの1つだと思うのです。

今なおたくさんの方が悩んでいると思います。

だけど、乗り越えられない人に試練は与えられません。

あなたなら乗り越えられる、だから今の状況に身を置いているはずなんです。

どうか1人でも多くの人が、本当の意味で自分の人生や自分の親を、愛せる日がくることを願っています。

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