心メンテナンスのススメ
ここ最近、筋トレがとっても大きなトレンドとなっています。
様々な目的を持った方がいるのだろうと思いますが、人間の生命維持活動において、身体の健康を維持するということは不可欠であるため、その本質に気がついた人は、長く続ける習慣になっていくのだろうと思います。
私自身、筋トレ、というか日々の運動に励む1人です。
しかし、人間の生命維持活動において、身体の健康だけでは不十分で、もう1つ、健康であることが不可欠な存在があります。
それが心です。
日本ではまだまだ心というと、”病んだ人のもの”のような考えが横たわっていますが、全くそんなことはなく、もっと当たり前に全ての人に必要なものだと、私は強く主張したいです。
そもそも心が健康な状態とは
あなたは、”自分はそんなに弱くないから心のメンテナンスなど必要ない”そんな風に感じていますか?
だとしたら、あなたは、心のメンテナンスが誰よりも必要だと思います。
心が健康な状態、これを定義するのは難しいなと感じます。
なぜなら、もしも自分の周囲にいる人みんなが病んでいたら、病んでいる方が健康のように見えるからです。
集団とは、心の状態の近い人同士が集まります。
だからもし仮に心が病んでいるとしても、周囲にたくさん自分と似たような人がいて、社会生活がおくれたら、ある種の健康状態と言えるような気がしてしまうのです。
しかし実際は、心の健康にも絶対的な定義があると考えています。
心が健康な状態、それは、”自分と、自分の大切な人の幸せを維持できる状態”です。
それは当たり前だろうと思いましたか?では次に考えて欲しいです。
維持したい、自分と自分の大切な人の幸せとはなんなのでしょうか。
色々な答えが浮かぶと思いますが、私は全てこの1文に集約できると思います。
それは、自分や大切な人が、生まれた時に与えられたナチュラルな自分の才能に気付き、その才能を活かして社会で誰かの役に立ち、社会生活をおくれている状態です。
人間に与えられた才能は多種多様です。もしかすると、その程度には差があるのかもしれません。しかし、誰かの役に立ちたい、誰かを喜ばせたいと思う気持ちや、喜んでくれた時に感じる充足感は、全ての人間に共通する普遍的な幸せだと考えています。
才能や、その力の及ぶ範囲に差はあれど、自分に無理することもなく、自分にただあるからそれを活かして人が喜んでくれた時、人間の生活の幸福度はグッと上がると思います。
さらに噛み砕きます。
自分に与えられたナチュラルな才能に気がつくためには、人と比べずに、ありのままの自分を、良いも悪いも受け入れられている状態が必要となります。
自分が生まれた時に与えられたものは、もしかしたら生まれる前に自分が選んだものかもしれないけれど、生きている限り、自分で選んだ感覚になることは少ないと思います。
時に、「こんな能力じゃなくてあの人のような能力が良かった」なんて思ってしまう時もあると思います。
それでも自分に与えられたものを受け入れ、自分は自分と言える心が必要になります。
このことが意味するものは大きく、大切な人の才能を活かすためにも必要不可欠な要素となります。
自分のありのままを受け入れられていないと、自分にないものを持っている人を見た時に、嫉妬や妬みがうまれ、その人が活躍することを喜んであげられないからです。
こういう状況、日本ではすごく多いと感じませんか。
”自分はそんなに弱くないから心のメンテナンスなど必要ない”という人の裏側
”自分はそんなに弱くないから心のメンテナンスなど必要ない”と考えている人は、心のメンテナンスが誰よりも必要な人だと上述しました。
この理由を述べます。
とてもシンプルです。
”自分はそんなに弱くないから心のメンテナンスなど必要ない”
この言葉の裏には、『弱いことはダメなこと』という潜在的な前提が隠れているからです。
つまり、弱い自分でいてはいけない、弱い自分は許されないという、自分自身に対する強い否定が見え隠れするのです。
実際に、”自分はそんなに弱くないから心のメンテナンスなど必要ない”という言葉を発する人は、自分の大切な人の弱さでさえも嫌悪し、拒絶する行動をとる傾向が見られます。
これが、自分の弱さを受け入れられていない何よりの証拠です。
弱さを受け入れられている人は、ありとあらゆる弱さに寄り添うかどうかは別として(人間関係の距離感やキャパがありますから)、大切な人の弱さについては、丸ごと受け止めてあげられるものです。仮にその時はキャパオーバーで受け止められなくても、時間の経過とともに理解できるようにつとめ、受け入れる努力をするものです。
だから、”自分は弱くない”と思っている人ほど、心をメンテナンスして欲しいなと思います。
自分に対する強い否定は、”自分の良いも悪いもありのままに受け入れている状態”つまり、心が健康な状態からは、程遠い状態なのです。
心をメンテナンスするということ
”心をメンテナンスする”
これは、何か病名を与えられたからするものではありません。
そうではなく、自分に与えられたナチュラルな才能を開花し、のびのびと表現し、社会の役に立ち続けるためにするものです。
人間というのは、少なからず周囲の影響を受けます。
自分でも気がつかないうちに、誰かの何気ない一言が脳裏に焼き付いて心を縛り付けてしまったり、望まない経験から恐怖心が大きくなってしまったりします。
SNSが発達した今は尚更です。受け取り方によっては、自分の今に不安を感じる媒体となります。
また逆もあります。
少し社会で結果が出だした時、必ず過剰にもてはやす人たちが現れます。その人たちの波にのまれると、”自分はすごい人間なのだ”と自分を過大評価し、どんどんとハイになってしまったりします。
誰かの役に立つためには、相手の今のありのままを理解し、相手が本当の幸せを維持するために、必要なものを差し出す必要があります。
そのためには、相手のことを正しく理解してあげることが不可欠で、それは、自分がハイすぎたり不安すぎたりするとできないのです。
だからメンテナンスするのです。
自分を無意識に縛り付けるものや、やりすぎていることに気がつき、リセットし、心を整えるためにするのです。
特に現代は、心を惑わせる情報が山のように存在します。
そんな環境の中で、”自分の心は何もしなくても正常だ”と言い切れる人の方が、傲慢で、本当の意味で、自分や誰かを幸せにすることへの責任感のない人だなと、正直私は思ってしまいます。
心身ともに健康でいること
心身ともに健康でいること、これは、いつの時代も本質的に問われる、絶対的な価値だと考えています。
心というと、日本ではまだまだ、スピリチュアル的なものや病気と無条件に結びつく思想が強いですが、そうではなく、もっと日常的に、全ての人が直面している課題であるということを理解する人が増えて欲しいなと思います。
心の健康って、そんなに簡単に手に入るものではないです。
それを証明するように、メディアや会社、SNSなど、至る所で不要な傷つけあいや論争が起こっていると感じています。
”自分の心は大丈夫”と思っている人ほど、どうか、自分の傲慢さに気がついて欲しいなと思います。
自分の弱さを認められないことの弱さに気がついて欲しいなと思います。
何度も言ってしまいますが、心の健康は、そう簡単に手に入るものではないです。
もっと一人一人が、心のメンテナンスを堂々と当たり前にできる時代が来ることを願っています。