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エッセイ「穿かないジーンズ」

色は青みの強い、いわゆる普通のジーンズの色。形はストレート、であることは間違いない。だけど、かっこいいお洒落なストレートではなく、裾がほんの少しだけすぼまっていて、それが致命的なほどこのジーンズを不恰好にしている。一言でいうとダサい。そんなジーンズを、母は穿くようになった。

覚えている限りで母が一番お洒落をしていたのは、私が高校生の頃だった。
「これだけは着ないで」
「このバッグだけは勘弁して」
「これはお母さん土曜日着るからやめて」
私はいつも母の服や鞄を勝手に借りて、よく怒られていた。

一番覚えている母の服がある。麻地でグリーンとクリーム色の大きめの花柄がプリントされた、膝丈のAラインのスカートだ。白の無地のトップスに合わせると花柄がよく映えて、母によく似合っていた。

「お父さんには仕事ってことにして」

ある夏の土曜日、私の知らない誰かに会うために、そのスカートを着て玄関から出て行った母の後ろ姿は今でも目に焼きついている。あれから十五年は経った。

毎日見ていると分からなかったけど、数年前に実家を出てからは、母が重ねる年齢の輪郭が濃くなっていくのを会う度にじんわりと感じていた。力無くへたれる髪の毛。頬に張り付く大きなシミ。額に走る深い三本の皺。それらを見る度に少し心細くなったけど、あんなにお洒落をしていた母がこんな形のジーンズを穿いていることの方が何よりもさみしくて、クローゼットから盗んでしまおうかとも思った。どこで買ったかなんて、聞きたくても絶対に聞けなかった。

ある日、母と妹の家に行った。改札の前で待っていた母を見て、私はほっとした。よかった、あのジーンズは穿いていない。それに、全身を黒ベースでシンプルにまとめたところに派手なスカーフを巻いていてお洒落だった。

ただの風邪予防なのか、コロナの名残りなのか、マスクをしている人が沢山電車の中には居た。私はマスクをつけていなくて、するするとした鼻水が鼻の奥から垂れてくるのを感じて隣に座る母に「ティッシュ持ってる?」と聞いた。母はいやそうな顔をして、膝の上に置いた小さめのショルダーバッグからポケットティッシュを取り出し「何で持ってないの」と言った。私は小さい頃から慢性的な鼻炎で、一番ティッシュを持ち歩くべき人間だと家族から言われている。口が開いたバッグを見て、なんとなく「なに入ってるの」と聞いてみた。

母は「えー?」と言いながら、バックからひとつひとつを取り出した。丁寧にアイロン掛けされたハンカチ、除菌できるウェットティッシュ、リップクリーム、折り紙のようにぴしりと三角に折られたビニール袋、苺のように小さく丸められたエコバッグ、はちみつのど飴、小さいジップロックに入れられた持ち歩きに便利なサイズのチョコレート、沢山入ったポイントカードでまあるくなったお財布、スタバのショートサイズも入らなさそうな小さい水筒、紛失防止のリールキーホルダーがついた家の鍵。母は、私が小さい時にぼんやりと思っていた、「おばあちゃんの鞄は何でも出てくる」を再現するようになっていた。老いは見た目だけに表れるものではなかったのかもしれない。

ジーンズもたぶんまだ、穿いている。思わず、あとどれくらい一緒に過ごせるだろうと逆さに数えてしまうけれど、まだ六十をいくつか過ぎたばかりの親にこんなことを言ったら怒られるから口には出せない。その代わりと言ってはだけど、母と出かける時はいつもより荷物の準備をわざと雑にしている。

「ねえ、ティッシュ持ってる?」と聞くたび「もう!」と怒られ、お父さんにそっくりだと溜め息をつかれる。私は母のプチ怒りを聞くたびにちょっとだけ、嬉しくなる。三十路もとうに過ぎたデッカい娘だけど、まだまだお母さんが持ってるからいいやって、思ってもいいでしょ?

今のところ、「これは着るな」とか「ティッシュくらいちゃんと持ち歩きなさい!」と怒れる自分の子どもはいない。私が老いることに対して、私が母に感じているのと同じように、誰かにさみしくなってもらうことはないのかもしれない。あったとしても、あのジーンズは絶対に穿けない。

私が母の服を借りることは、もうない。

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千葉ナツミ
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