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青、リスボン

2月13日(木)旅日記

びっしりと厚い灰色の雲に覆われ、リスボンには珍しい雨模様。

ああ、今日の計画を一から練り直さなければならない。身支度を終えホステルの扉を開けた私は、頭上を見上げてがくんと肩を落とした。だってこの町には、青空の下でなければ意味をなさないものが山ほどあるのだ。     

いつの日か私がリスボンの風景を描くなら、真っ先に水彩絵の具を手に取るだろう。色鉛筆でもパステルでもなく、水彩具でなくては駄目だ。筆先にたっぷりの水分を含ませて、キャンバスに色を滲ませるよう描きたい。柔らかい毛先を少し寝かせ気味に、ゆっくりゆっくりと筆を動かしていく……。

ここを訪れる旅人たちは皆、どこか朧げで淡い印象をこの町に抱くことだろう。私は時に、この町を織り成すあらゆる要素の境界線が”ぼんやり”している、という感覚を抱く。散歩中にふと頭上を見上げると、出窓から紐に吊るされたピンクや黄色の色とりどりの洗濯物と、その背後に広がる青い空との境目が、滲んでしまって分からなくなるくらいに。この感覚はどこからくるのだろう。

まだうまく言い表せないけれど、とにもかくにもリスボンは、絵の具が滲みかけた水彩画のような町なのだと思う。そして、そんな霞んだような緩い空気を引き締める役回りは、青空が担ってくれる。この町には、爽やかな青がとてもよく似合う。寛容すぎる共存が繰り広げられている地上に足りないものを、晴れた空だけが補完してくれる。青空があって初めて、リスボンの美しさは発揮されるのだ。逆に曇りや雨の日には、家々のオレンジ色をしたレンガ屋根も、クリーム色の石畳も、この町を構成するあらゆる色彩は所在なげにふわふわ漂うことしかできない。この地が持ち合わせていない”メリハリ”を、晴れた空だけがもたらしてくれる。南スペインのアンダルシアのようなパキッとした真っ青な空ではなく、どちらかというと日本の春空に似た薄水色。そんな青の濃さがまた、絶妙な塩梅で町を引き立たせている。そこかしこの住居や教会を彩るアズレージョも、コメルシオ広場を取り囲む薄黄色の壁も、テージョ川の水面も、陽の光を受けてキラキラと輝きだす。

魅惑のリスボンは、昼間だけに留まらない。
燦々と町を照らし続けた太陽がその身を傾け出したら、また新たな物語の幕開けだ。「リスボン、至上のマジックアワー」の頁をめくろう。日没までのこの数十分は、夢幻のようなひと時だ。(語り出すと長くなるので、こちらはまた別回に)

昨晩から決めていた今日の計画は、昼下がりの船に乗り、対岸にあるとっておきの公園を訪れることだった。河岸に沿うように縦長に位置するその公園は、テージョ川と街全体が一挙に見渡せる、私の特等席。おまけに、地元民がちらほら昼寝をしたり犬と散歩に来たりするだけで、まだこの秘境は観光客に見つかっていない。ぼーっとしてしまうほどの絶景を、川のほとりの芝生で安らかに堪能できる。波打つたびに聞こえる微かなせせらぎの音や、水平線まで続く大空を遮るものは何ひとつ無い。ぼんやりと物思いに耽ったり、クリームがたっぷり入った揚げドーナッツのBola de Berlinを頬張りつつ小説を読んだり。

ここに来ると、少なく見積もっても2時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。留学当時は、暇さえあればこの公園へ逃れてきたものだ。私にとって思い入れの強い場所だからこそ、晴れた日以外には行かないと胸に決めている。ここに来ればホッとする光景にいつも必ず出会えて、大空とともに変わらず全身を包み込んでくれるのだという、そんな絶対的な心の拠り所であり続けてほしいから。

とにかく明日こそは、青空の下でリスボン散歩ができますように…!

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