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#19 今日を書き残すのは、自分の今を遺すため

こんばんは。

「文字」と「簡単なイラスト」を用いた「グラフィックレコーディング(以下「グラレコ」という)という手法を使って、日々の出来事や感情の振り返りをお手伝いしているNatsumiといいます。

このnoteでは、グラレコとの出会いから、現在の活動につながるまでの道のりや、「聴く・書く・描く」ことへの想い、気持ちや言葉の可視化にまつわるあれこれなどをお届けしています。
(現在、1ヶ月間の毎日投稿に挑戦中です!とにかく続けることが目標。)

ご興味ありましたら、ぜひお立ち寄りください。

今日も連休中なので、ゆるり投稿です。


日中は家族の用事を足し、夕方は夫、夜は私とそれぞれが2時間ずつ自分時間を持つことで交渉成立しました(お互い成長したな〜)。
なので、ちょこっと車を走らせ、午後8時から2時間のひとり時間を確保して書いています。

1週間を振り返って、出来事や気持ちをば〜っとノートに書き残しました。
はぁ、スッキリ!

今回は、書き残せた時と、そうでなかった時の違いについて感じたことを綴りたいと思います。


「ある」よりも「ない」が見える

1週間を終えて、ふと立ち止まって後ろを見ると、辿ってきた道が見えずに、「あれ?なにしてたんだっけ?」

そんな風に「ない」ばかりが見えることがあります。

毎日必死にいろんなことをこなしているはずなのに。

今だって、カフェに入って座った途端、
「ふ〜」と深い息をゆっくり吐きました。

「あ、気を張ってたんだな〜」
「肩に力、入ってたんだな〜」

と改めて気付かされています。

最近は、仕事でも家事育児でも、発信やグラレコの活動でも、多くのことに頭を働かせていました。
ちょっと欲張りなくらいに。

ただ、何をしたか、何を思ったか、何を感じたか
こういった細かなことは、本当にあっという間に記憶からすり抜けていってしまうのです。悲しいかな…

皆さんにも、そんな経験ありませんか?

一行でもいいから書く

手帳やノートに何か書き残せた時には、後から振り返った時に、その時そこに「あった」ものをまた見ることができます。

それは、何気ない日常の出来事であったり、嬉しいとか悔しいとか腹が立ったとか、そういう気持ちだったり、誰かとの関わりであったりと様々。

頑張った自分にも、何かに悩んでいた自分にも、ちょっと失敗した自分にも思いを寄せることができるし、ちょっと客観的に自分を見るきっかけにもなります。

ただ、書き残していない時期の事は、思い出せないばかりか、「ある」が「ない」にすり替わってしまうんです!不思議。

充実感を感じられなかったり、単純に「忙しかった」で終わってしまったり、
自分の成長をキャッチすることにも鈍感になってしまったり。

そして、書けない日々が続くと、何だか無性に焦ったり不安が強くなったり
たいてい精神的に健康とは言えない状態に陥ります。これも不思議。

誰に見せるわけでもない自分だけの記録なので、カッコつける必要もないし、上手く書く必要もない。
やっぱり、一行でもいいから毎日何か書き残そう。

今日改めてそう思いました。

自分の人生を慈しみたい

毎日が同じ様な日々に思えても、必ず何かしらの経験が積み重なっていて、それが人生の中で軌跡になり残っているはずです。

過去の当たり前は、今の自分にとって当たり前ではないし、今の当たり前だって、未来の自分にとっては「有り難いもの」かもしれません。

でも、渦中にいる自分自身にはそれが見えにくい。

だからこそ、その時その時の「今」を遺し、振り返ることによって、どんな自分にも寄り添っていきたいし、自分の人生にもっともっと愛情を持って、大切に扱っていきたい。
そんな風に思っています。


皆さんは、どんな方法で今を遺していますか?

さぁ、明日からまた新しい1週間、頑張りましょう!
三連休お疲れ様でした。





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