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社会適合の世界と不適合の世界を行ったり来たり

最近、社会適合と不適合のちょうど狭間にいるような感覚をよく感じるようになりました。日によって適合させる自分として生活していたり、社会不適合90%くらいの感覚で過ごす日があったり。

私は社会不適合なりに10年社会人をすることによって、それなりに適合させる能力が身についていると思っています。(本人だけがそう感じているのかもしれませんが笑。)
でも、時々社会不適合200%でピュアなまま生きている方たちに出逢います。
すると、いつもは隠している香川の方言が、西の方に出会うと出てくるように、普段隠しているつもりの社会不適合の部分がもぞもぞと自分の中から出てくる感覚に襲われます。

私のコミュニケーション能力はどこかズレていて、伝わる人にしか伝わらない造語がたくさん出てくるし、普段の感性もどこか違う所に焦点が合っているようで、同じ気持ちをシェアできないこともしょっちゅうです。

だけど、社会不適合者200%で生きる自信がなく、それなりに調節することも大切だと思っていました。だけど15歳くらいまでは社会不適合というより、マイワールド200%で生きていた時代もあったことを思い出しました。なぜか好きだった競走馬の名前と血統と毛色をただひたすらに暗記し、寝る前に聴く曲は小田和正さんと槇原敬之さん。なかなか同世代とは話が盛り上がりづらい小中学生時代でした。

その時の経験から何となく社会不適合の感覚を隠していましたが、これって別に隠すようなものでもないし、かといって200%で生きなくてはいけないわけでもないのかもしれないと思うようになりました。200%で生きることも素敵だけれど、どっちつかずな人もいると思うんです。社会適合方向に努力してみたら、こっちでも楽しみを見出せたということもあるのかなって思います。なら両方の良いとこどりをすることもできるんじゃないかと。

でもここの狭間に壁を作って向こうの世界、こっちの世界どっちにするんだと極端に線引きすることはしたくないです。
これは今後の道内の移住先を考えている時にも思ったのですが、小樽にしようか、帯広にしようかと考えていたのですが、よく考えたら全部北海道なんです。私が好きなのは北海道であるので、とりあえず色々自分の足で歩いて、実際に見て、感じて気に入った場所が小樽かもしれないし、帯広かもしれない。若しくは音威子府かもしれない。

〇〇市にしようと選ぶのではなく、気に入って長く滞在した場所が〇〇市だったということかもしれないと思うようになりました。情報が先じゃなくて、体感したことの結果がそうだったという方が私の生きたいライフスタイルに近いのかなと感じました。

話は逸れてしまいましたが、社会に適合していても不適合でも、その狭間に壁をつくらず、行ったり来たりしながら、楽しめる毎日にしていきたいです。日々変化する自分の感覚に合わせ、今日はこっちとファッションのように楽しめたらいいんじゃないのかなーと思うのです。意識的に少し離れていた社会不適合の世界への壁が取り除かれたような気がする最近の出来事でした。

おわり。

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