12週と3日間~稽留流産を経験して③
稽留流産診断から3日目。入院当日。
入院前に、仕事の最終確認。コロナ禍で在宅勤務が進んで、家には会社から貸与されているパソコンがある。1点だけ心配な業務を先輩にメールした。それ以外の仕事は、妊婦検診で休みをもらう前日に出社した時にすべて終えていた。何を思ったのか私はその日、次週まででよい仕事を「今日中に片付けなきゃ」とスケジュールを1週間勘違いして、急いで仕事を片付けてしまっていた。なんでそんな勘違いをしたんだろう…とその日は自分のスケジュール帳を見て反省したのだけれど、結果それでよかったのだ。もしかするとお腹の中で亡くなった赤ちゃんが「明日から大騒ぎだから、今日中に仕事片付けとけよ!」とサインを送っていたのか…なんてスピリチュアルなことを考えたり。
病院へのバスに乗る前に、カツ丼を食べた。手術に勝つ…!ちょっと違うか。でもいいや、景気が良さそうなもの食べとこう。
病院について、コンビニで手術に必要なものを最後に買い揃えて、入院病棟へ。今、コロナの影響で基本面会は禁止なんだけど、入院時・手術時・退院時は家族1人に限り病棟に入れる決まりになっていた。私は短い入院だったから、毎日旦那さんに会えるスケジュールだった。ベッドに案内してもらって、看護師さんの説明を受けて、明日の手術前の処置まで自由時間(?)。ここで旦那さんは撤退。ありがとう。明日、朝1番の手術だから、寝坊しないでよ、絶対!
入院したのは4人の大部屋。カーテン閉まってて、顔はわからないけど、みんな年配の人で、癌だったりその他病気で長く入院しているようだった。大変な思いしている人、たくさんいるんだな。私は病気ってわけじゃないし、すぐ日常生活に戻れるんだから、幸せ者なんだな、と思った。…本当にすぐ日常生活に戻れるんだろうか。
看護師さんが来て、「じゃあ、準備行きましょうか」と声をかけてくれた。明日の手術がスムーズにいくように、事前に子宮口に水を含むと膨らむ棒を入れておく処置と聞いていた。看護師さんが優しく説明してくれたから、全然ビビってなかった。
昨日診察してくれた先生が来て、「こんにちは。手術の準備しましょう。」と優しく説明してくれた。先生の顔見たら、安心して半泣きになってしまった。外来も、手術の準備も、手術も、全部やってくれるなんて、なんてありがたいんだろう。というか、先生めっちゃ多忙だな。優しく私の気持ちに寄り添ってくれるけど、絶対に泣かないし、どんなメンタルしてるんだろう。プロだな、大病院の医者って。と思っていたら処置が始まった。
あんまり注射やら治療中に泣かない私だけど、この時はさすがに号泣した。
痛い。痛すぎる。というか苦しい。なにこの辛さ。生きてきて一番辛い。
子供の頃、自転車に轢かれたり、難聴で耳が聞こえなくなったり、部活中の事故で脳震盪起こして頭縫ったり、うつ病したり、これまでいろいろあったけど、比べ物にならないくらい辛い。
診察台の上で(ただ子供が欲しかっただけなのに、なんでこんな苦しい思いしなきゃいけないんだろう、私)と思ったら涙が止まらなかった。
「あと少し頑張って!」と、ずっと声をかけてくれた先生。先生も嫌だろうな、自分のしてることでこんなに泣かれて。決して、先生の医療行為が不満なわけじゃないんです。ただ、どうしてこんなことになったのかが、わからなくて。それが辛くて。
処置中何をしていたかは見えてないけど、「パチン、パチン」っていう音は一生忘れないと思う。二度とこんなことしたくない。
最後先生は、顔は見せてくれなかった。「明日、宜しくお願いしますね。頑張ろうね。」と言って帰っていった。その後、看護師さんが「おつかれさま」って声かけてくれた瞬間、また号泣した。看護師さんという存在がもう、涙腺スイッチONそのものだった。なんであんな優しい存在なんだろう。
2日前流産がわかってから、ここまで急転直下だった。あれよあれよという間に入院と手術が決まって、わかってはいたけど、わかっていなかった。明日、自分のお腹から子供がいなくなることを突き付けられて辛かった。そう思ったことを全部話した。「落ち着くまで、ここでいっぱい泣いていいよ。」と言われて、そうすることにした。「泣かないで」「大丈夫」「辛いね」とか言わず、ただ「泣いていいよ」って背中をさすってくれた。私が看護師さんの立場だったら、一緒に大泣きしている。看護師ってすごいわ。
部屋に戻ってぐずぐずしていたら、管理栄養士さんが来た。私は企業勤務だが、同業者だ。仲間が来た気がして、嬉しくなった。今日は夕飯を食べていいこと、私にアレルギーがあるからその確認をしたいことを伝えてくれた。
たった1泊の入院だけど、入院中は気が滅入る。食事があることが本当に嬉しかったし、楽しみが1つできた。私も仕事に戻ったら、人を笑顔にする食を提供できる仕事をしようと改めて思った。確認に来てくれたのが16時頃だったので「今から献立作成するから、ご飯来るのが最後になるかも。ちょっと待ってて!」と言われたけれど、定刻の15分前に食事が届いて、誰よりも早かった。遅くなるだろうと気にしてくれていた看護師さん達が次々様子を見に来て、「あれ!もう食べてるの!?よかったね!笑」と言ってくれた。みんなが自分のことを気にかけてくれている、それだけで嬉しかった。管理栄養士さん、美味しいご飯ありがとう!明日頑張れる!
と思っていたのだが、母からLINEが来ていた。「手術の準備、さすがに号泣したわ。手術にしてよかった。短時間の準備だけで辛くて、お産なんて耐えられない。」という私のLINEに対して、「痛かったんでしょ?ジワジワくる感じで辛いよね。」と返事をしてきた。心配してくれていることはわかったし、痛みに寄り添おうと母はしたのだろうけど、私はイラッとした。「手術したことないのに(なんでわかるの)?」と送ったら、「お産と同じだろうと思って」と返ってきた。
(は?お産と同じ?)
この数日間で、怒りがこみあげてきたのは初めてだった。
確かに、通常のお産でも子宮口を広げるために、同じ作業をすることがある。ただ、同じ”作業”なだけで、目的は違う。全く違う。同じ?同じにするなよ…!と思って「こっちは普通に産みたかったのに、産めなかったんだよ。お産と一緒じゃないよ」とだけ返した。すぐ母からは「同じとは思っていないけど、言葉が悪かった」と謝ってくれたけど、もう私には受け入れられなかった。あの痛みは、流産を経験した人にしか絶対にわからない。身体的苦痛と精神的苦痛が加わって、もう最悪。同じ流産を経験した人からの言葉でないと、ただイライラするだけだと思って、LINEはやめた。母であっても。わかったように言うなよ、わかったように言うなよ…。
せっかく楽しみにしていた夕飯を、泣きながら食べた。美味しかったけど、気分最悪。なんてことしてくれるんだよ。…と思いながら、このまま手術に向かったら後悔しそうだなと思って、夕飯の写真と「夕飯食べれた」ということだけ返事をした。あとは、帰宅するまでそれっきり。
夜は21時消灯。手術前でお腹痛いし、いろいろ考えすぎちゃって寝れるわけがない。(どうしてこうなったのかな)(お父さんにしてあげられなくて、旦那さんに悪いな)(会社の人にも辛い思いさせたな)(この子は生まれてきたくなかったのかな)(生まれたかったけど、私の身体が悪かったからダメだったのかな)(つわりの間、もう少しちゃんと食べてあげればよかったな)(出血があったとき、無理せず仕事休めばこうならなかったのかな)とか、たらればばかり考えた。隣のおばあちゃんが遅くまでテレビ見ていたから天井がテレビの明かりでチカチカしていた。もう1人は豪快ないびき。向かいのおばあちゃんは腫瘍の摘出手術直後で「痛い痛い」とずっと呟いていた。そして隣のおばあちゃんの「テレビカード落として、そこの隙間に入ったかも」というナースコール&テレビカード大捜索。そんな環境のせいもあったと思うけれど(笑)、気づいたら夜中の2時を過ぎていた。次の日は6時起床。7時半ころから点滴と言われていた。
あと4時間しか寝れない…。もうこのまま起きててもいいかな。と思ったけれど、入院時に「睡眠薬使っていいって許可が出てるから、眠れなかったらナースコールしてね」と言われていたのを思い出して、ナースコールしてみた。こんな深夜にいい大人が「眠れません」って情けない。そう思っていたらすぐに「どうかしましたか?」と看護師さんが来てくれた。暗くて顔がよくわからなかったけど、間違いなく優しく笑いかけてくれていた。眠れないこと。このまま起きていてもいいかなと思ったけど、手術のことを考えたら睡眠薬使ってでも寝た方がいいのか?と相談した。「うーん、今から薬飲んじゃうと、明日の朝起きれないかも…。起きれたとしても、フラフラで手術になるかも。ずっと起きててっていうのも酷だけどね〜(笑)体力温存する程度で横になってれば大丈夫だよ!」と言ってくれた。そうですよね~、じゃあこのままいきます!と笑っていたら、
「急に環境が変わったし、いろいろ考えちゃうよね。私達、話聞くくらいならできるからさ。辛かったら夜中でもいつでも声かけてくれていいからね。」
と言ってくれて、それだけで泣けた。話聞いてもらおうかと思ったけど、さすがに看護師さんも忙しいだろうなと思って、お礼だけ言った。どの看護師さんも今の私に120%最適な声かけをしてくれる。その技術教えてほしい。私も誰かに、その人のために最適な声をかけられる人間になりたい。そんなことを考えていたら、気づいたら眠れていた。起きたら6時半だった。最後に時計を見たのは3時だったから、3時間睡眠。まぁ、徹夜になるよりよかったかな。
さ、いよいよ手術当日だ。旦那さん、寝坊してないかな。