12週と3日間~稽留流産を経験して①

10月下旬のとある日。
この日は初めての、4か月の妊婦検診。
赤ちゃんの心拍も2回確認できた。母子手帳ももらってきた。妊婦検診の券に名前と住所を何か所も書いてきた。
いつも胎嚢が狭そうで、「ちゃんと大きくなるのかな?」という私の不安をよそに、毎回どんどん大きくなる赤ちゃんが可愛くて、逆に元気をもらってきた11週間。この日のエコーは心から楽しみにしていて、旦那さんも「明日楽しみだね!」と言ってくれていた。

(今日はエコーを動画で記録しておこう。)
なんとなくそう思って、スマホをエコー画面に向けた、その時。

素人目に見ても、すぐわかった。

(これはあかん。赤ちゃん、死んでる。)

画面に映る赤ちゃんが、ぐったりしている。
前回までチカチカしていた心拍が見えない。
子宮と赤ちゃんの血流が赤と青でキラキラするはずが、灰色一色。
(だめだ。これはだめだわ。)
私はすぐ諦めたのに、先生は諦めずにすごく長い時間エコーを確認してくれた。何も言わずに。

先生「非常に申し上げにくいんだけど…、赤ちゃんの心拍が見えません。流産ということでいいと思います。」
 私「ですよね~。さっきのエコー、静かすぎましたよね。静止画見ているみたいでした!」

先生と話しながら、自分凄いなと思った。
今、お腹に死んでいる子を抱えているというのに、えらい冷静やなと。
先生と看護師さんの方が、私より落胆していた気がする。

それから、今後のことについて説明を受けた。
きっと11週後半で心拍が止まったであろうということ。
でも、確認が取れた今日、12週に突入していること。
11週と12週では、死産届がいるいらない等、手続きに違いがあること。
うちで手術もできるけど、成長した赤ちゃんを取りだすにはリスクが高いこと。
このまま置いておくと私の身体が危険であること。
手術はできるだけ早いほうがいいこと。今日・明日レベルで急いだ方がいいということ。

私「明日、大きい病院行きますよ。ここだと、先生のご負担が大きいと思いますし。私は大丈夫です!」
一体なにが「私は大丈夫!」なのか。
でもそう言っていないと、自分を保っていられなかった気がする。

そして、国立病院への紹介状と一緒に、母子手帳、一度印鑑を押したけど二重線で消された妊婦検診の券を返された。
小峠の「なんて日だ!」状態だよ、ホントに。なんて日だ。


私は、子宮内胎児死亡、「稽留流産」という診断を受けた。
家に帰って、国立病院へ予約の電話をし終わったところに、旦那さんが仕事から飛んで帰ってきてくれた。

プツンと緊張の糸が切れて、大泣きした。
どうしてこの子なのか。どうして私なのか。
泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いた。
泣かずに私の涙を拭き続けた旦那さん、(この人強靭なメンタル持ってるな)と思った。3年前、うつ病を患って1年ほど低空飛行していた私を支え続けてくれたのも旦那さんだった。あぁ、また支えられちゃうな。


この文章を書いている今は、手術も終わって退院した2日後です。
今日から旦那さんは仕事に戻ったので、久々に1人で1日過ごすことに。
(このまま1日過ごしてたら、また気が滅入るな。)と思って、この4,5日間にあったことを、文章にして共有してみようと思いました。
流産の話なんて、人にすることじゃないかもしれません。
妊娠の報告もしていないのに、流産の報告だけするなんて、自分の辛かったことに知り合いを巻き込むみたいで、どうかとも思いました。
でも、これは、今の自分のために、自分の気持ちを整理する1つの方法として書いてみます。
「また次があるはず」とか「よくあることだから」(実際、健康なお母さんでも6人に1人は流産するデータがある)と、誰かに慰めてほしいわけでもありません。

ただ、ただ、自分と亡くなった赤ちゃんのことを整理するためだけに。
そして、今回流産したことで、たくさんの新しい出会いもありました。本当なら、出会うべきではない人達だったかもしれないけど、それでも私は出会えてよかったと思っています。その人たちへの感謝の気持ちを忘れないために…。

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