clubhouseで感じたアイデンティティの所在不明さ
話題のclubhouseに加入した。
Facebookと同様、実名で登録することが基本かつ、携帯番号と紐づく。
電話帳との連携を避ければ、電話番号を知っている友人には伝わりにくいが、だからといってTwitterのアカウントを連携させるのは恐怖である。
わたしは「なつみ」で登録すべきか、はたまた実名で登録すべきか悩んだ。
「なつみ」は最早わたしであり、わたしを楽しく生きさせるためにあるのが「なつみ」である。性的なことの発信をしても、受け入れてくれる仲間たちが「なつみ」の側にはいる。
だが、「なつみ」は昔の仕事(教師)と絶対に連携させてはいけない存在である。「なつみ」はいわば官能小説家みたいなものであり、一生その中身は伏せて生きなくてはいけない。なつみ先生の身体はどこかで教師として働いたことがあったけれど、なつみ先生の精神はTwitter上にしか存在しない。
……大袈裟なことを言っているが、何となく言いたいことは言えている。
clubhouseを通して、Twitterで性的なことを発信している人でも、本名との一致までではなく、本人とは一致している人がかなり多いと感じた。Twitterの名前はただのニックネームかのように感じる。
わたしにはもうそれができない。一度、堅い仕事についてしまったものだから、なおそれが子どもというものを率いたものだったから、辞めたとて下手なことはできないのだ。あんな変なアカウント、「実は…」と名乗るわけにはいかない。たとえ隠し通せなかったとしても、自らオープンにはできない。
二三年前は、「裏垢」というものがとても流行して、バレないようにバレないようにみんながエッチなことをつぶやきまくっていた。しかし、身分を隠すのが下手な人が多くて、身体や部屋の写真を載せて特定されたり、電話番号との連携に気づいていなくてバレたりしていることがよくあった。
そんな中でも徹底的に、写真を載せず文字だけでツイートし続け、何とか無事退職を迎えたわたし。今までツイバレして辞めてる教師も散々見てきたから、わたしはあってはならないと在職中は常に怯えて暮らしていたと言っても過言ではない。
そこまでしてTwitterをやる意味はもちろんあって、本当にたくさんの友人と出会えた。歳が離れている人も全く関わることがない職業の人も、わたしに興味を持ってくれて、話してみたいと思ってくれていた。本当にTwitterをやっていたことは、自分の中の誇りである。
話を戻すが、clubhouseを「なつみ」としてやりたいのは、Twitterのお友達と絡みたいからである。Twitterとは別に新たなフィールドでみんなが活躍していて、いろんなコミュニティにかかわっていきたかった。
しかしわたしは、自分と「なつみ」を連携させた生き方はどうしても選べなかった。間違って生きたというわけではない、わたしはこの方法でしか進めなかった。
clubhouseとは、相性がそこまでよくなかったということだ。clubhouseの機能が、「なつみ」にフィットしていれば、わたしは「なつみ」としてここでまた新たな楽しみを見つけていただろう。
世の中で淘汰は必ず起こる。本人と裏垢を使い分けない人が過ごしやすい時代の到来だとしたら、なつみもいつか消えざるを得ないのだろう。
そんな難しく考えなくても、気軽にアプリなどやればいいのにとは思う。そんなことができれば、今頃フォロワーは200人程度だったはずだ。