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8歳のジェントルマン:バイカルチャー子育て

子育てがなぜ難しいかというと、それは結果が今すぐ出ないから。
自分が子供を上手く育ててこれたかどうかは、十年後、二十年後に見える。

というようなことを聞いたことがある。それから、

育てたように、子は育つ。

とも。

子育ての難しいところは、今すぐに、成果が見えないところ。だから、仕事のように達成感は生まれにくい。

子供とは毎日の繰り返しで、それに何度言っても子供は言うことを聞かない。だから、やる気がそがれることもある。成果が見えるのは、いくら早くても、10年15年後。。。。と言われても、今はぴんと来ない。

どういう風に形となるのか分からないから、子育ては難しい。そして、親の方が意図しなかったことも、子供は勝手に汲んでしまって、そんな風に育てたつもりはなくとも、「育てたように」子は育つというから、なんだか怖い。

一体子供たちは、それぞれの家庭のどんな文化を吸収しながら、大人になっていくのか。。。!?

さて、上の子(息)が、今年9歳になる。

約9年間、彼と一緒に住んで暮らしてきたわけだ。いろんなことを乗り越えながら、大体、こちらも彼がどういう性格で、どういう風に生きているのかなんとなくわかってきた。

ところで、子供っていうのは、まだ生まれて数年しかたってない、スーパー若い人たちというのを忘れがちじゃないだろうか。言葉にすると、当たり前すぎて、「?」となるかもしれないけれど、生まれてきて数年しかたっていないのなら、本人たちも、自分が何が好きで、何が苦手で、何が嫌なのか。自分が一体どういう人間なのかわかっていないのじゃないかと思う。

私だって、おおかた40年、自分と生きているのに、自分のことが分からないこと、あるし。

だから、親である私たちが、子どものこと全てを把握しておくのって、無理だと思う。失敗しながら、お互いが誰なのか、日々確認し合っているのが、家族だと思う。

親はついつい、いつも子供のことがわかっている気になっているけれど、うちの上の子だって、しょせん9年もたっていないようなヒトなので、毎日、本人も家族も、少しずつ彼という人間を理解しようとしているのだと、思うようにしている。

ちょっとずれたけれど、

この息子が、最近いい具合に育ってきたなあ(シメシメ)と思うことがあった。

曜日によって、息子と下の子(娘)を幼稚園へお迎えに行くことがある。すると、園のお庭へ入るときに、手で開ける、背の小さな白い門みたいなものがある。それを、息子は必ず開けてくれる。100%の確率でだ。

ふざけながら、その年ごろの男子特有の、バカさ加減で歩いて行っても、門のところがくると、開けてくれる。

彼は8歳ながら、アメリカンジェントルマンのように、門を私のために開けてくれるのだ。開けるタイミングもばっちりで、それから入る邪魔にならないようにすっと横によける。

そしてそれから、閉めてくれるので、私はすっと入って、「ありがと」と言うだけでいいシステムになっている。


そして、娘と三人で園を出る時も、必ず彼が開けて、私たち女性二人を通してから、閉めてくれる。明らかに、私と娘を女性扱いしているし、そうされると、こちらも息子を男性扱いする心持ちができている。

「門、どうして開けてくれるの?ありがとね」

と言うと

「は?そう?うん」

みたいな感じで、本人もなんとも思っていない感じ。普通に、自分の役目だと感じているようだ。でも、日本にいる8歳の男子が、これをするのはあまりないのじゃないかな?と思った。

10年前に帰国した時、いくつかあった逆カルチャーショックの中に、日本の男性たち(知らない人)は、ドアを開けてくれないんだ、ということがあった。開けてくれないどころか、割り込んできて、しゃっと入って、知らんぷりということもあった。これはアメリカでは、まずない。

(いや、もしかして私が知らないだけで、こうやってできてる今時の男子はたくさんいるのかも?!そうだったら、先に謝ります。)

「男性は女性のためにドアを開けなさい」

なんて言ったこともないのに、彼はもう既に、グローバルジェントルマンの心得が分かっている。

彼の子育てをしていて、初めて「間違ってなかったかも」と思えた成果がちらりと見えた気がしたのだ。つまり、私は、9年目にして、ようやくこの不確かな子育ての中で、「良かった」と、ほっとさせてもらったということだ。

うちの夫を見て育っているから?真似しているだけ?かもしれないけれど、私はなんとなく、思う。

親である私が、「こう、育ってほしい」と思っているからかもしれない。

育てたように、子は育っているのだ。

我が家は、勉強とか学校とかスポーツとかにはあまりやかましくない教育方針で、それよりも、まあ、英語は家族とのコミュニケーションが取れなくなるから、それをまず習得してほしくて。その次に、こんなことを強調している。

〇思いを言葉にすること
〇表現をすること
〇好きなことを探すこと
〇世界は広いと知ること(ここだけが全てじゃない)

今これを書いていて、思ったけど、ああ、多分、夫はもっとあると思う。これよりもっと長いリストがあるよ。笑

上に書いたのは大体、私だな。私は、ここらへんをとても押している気がする。

これ全て、言い換えれば、

「海外で通用する感覚を身に付けてほしい」

ということだと思う。

日本から一歩出ても、引けを取れないコミュニケーションが身に付いてないと、英語なんて宝の持ち腐れになってしまう。

だから、子供が泣いていたりすると、何がどう辛くて泣いているのか、できるだけ表現してほしくて、それを促す。

ふてくされると、「何をどうしてほしいのか、人に伝えないと、人はわかってくれないよ!」と言う。でもこれってきっと子供には難しいことだろうなとも思う。

「こういうこと?こういうこと?それとも、何なの?」と選択制にしたり、「わからないなら、わからないって言えばいいんだよ」、と言ってみたりしている。あえて、子供の感情を先回りして「察する」ことは、しない。

日本でいれば、察してくれる人もいるかもしれない。でも、海外の人は、1ミリも察してなんかくれないからだ。自分から口を開いて表現しなければ、向こうの人は冷たいくらいに、こちらの存在に注意を払ってくれない。そういうコミュニケーションの差で苦しんだ私の経験から、子供にそうしているのだと思う。

これが、良いか悪いかは別として、うちではそういう教育方針の傾向があるということです。

で、その結果として、この幼稚園の門を開けるようなジェントルマンな態度が出てきたのかもしれない。こういうことが考えることなしにできた方が、海外では違和感がなく溶け込めると思う。

これは、バイリンガルに育てる以上に大切かもしれない、バイカルチャーの理解への一歩だと、思っている。

ちゃんとした子育ての答え合わせは、18歳以上にならないと、できないと思う。けれど、親の大切にしていることや、考え方、感じ方、そういうものって、実は、もう既に子供に全部通じているのかもしれない。

そう思うと怖い!!!こともある!私の悪影響いっぱいあると思うなあ。。。

けれど、いいことも伝わっているとしたら。。。

あなたが大事にしていることは、実はもうとっくに子供に伝わっていて、あともう少しでその芽が出るのだとしたら。ちょっと楽しみになってきませんか?

こちらがどう頑張っても、頑張らなくても、子供は勝手に吸収して育っていくみたいだ。


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