「ナミヤ雑貨店の奇跡」を読んで
映画にもなっていたし、東野圭吾作品だし、とりあえず読んでみるか、思って読み始めたこの作品。
初めは、東野作品にあるハラハラ感があまりにもなく、読み応えがないなと少し残念に思っていたが、読み進めていくとやはり綺麗な文章を書く人だなと思って、あっという間に最後まで読み終えてしまった。
全体を通して、この作品からは「何かを信じて、全力でそれに向かうことって悪いことじゃないよね」というメッセージを感じた。
特にそのメッセージ性が強いなと思った部分を、以下抜粋しながら考察を述べていく。
一つ目は、ナミヤ雑貨店の店主とその息子が時空の歪んだナミヤ雑貨店に行き、未来からの手紙を受け取る場面である。
“冗談 で 書い た 質問 を 無視 する ん じゃ なく て、 まとも に 向き合っ て くれ た こと がさ。”(Kindle の位置No.2156-2157).
ナミヤ雑貨店の店主は、客側が「真面目に生きよう」という意思を持っていたから手紙が彼らにとっていい方向に昇華していったと解釈しているが、そもそも店主が冗談に対しても真面目に返信を書いたからこそ、受け取った人たちは真面目に生きようと思ったかもしれないのだ。そういった意味で、最初に真面目に返事を書いたナミヤの爺さんが、まずは全力で物事に向かうことを否定していない、この物語を体現したような人であることがわかる。
二つ目は、ビートルズが大好きだった浩介の、自分がなぜここまで無事に生きてこられたか、両親の最後の想いを察した後の場面である。
“映画館 で 見 た 時、 ひどい 演奏 に 思え た のは、 浩 介 の 気持ち に 原因 が あっ た の かも しれ ない。 心 の 繫 がり を 信用 でき なく なっ て い た の だ。” (Kindle の位置No.3567-3569).
これは、この章の主人公である思春期の浩介が、「信じる」ことに関して再挑戦してみようと決心する印象的な場面であると思う。バブルが終わって、失われた20年と言われた日本社会を上手に文章にしたこの章では、前半から後半にかけて一気に両親への信用を失い、ひとりで生きていくことを決意したひとりの少年の物語が描かれている。たしかに今の日本社会では、成長する兆しが見えず、将来どこに向かうのかもわからず、何かを「信じる」ことが難しいのかもしれない。浩介も一度はそれに失敗したが、両親の最期の想いに気づき、人を信じることにもう一度期待をかけてみようとしている。
このキャラクターを通して作者は、信じるという難しい行為に対して向かっていく勇気を描きたかったのだろう。
三つ目は、物語の最期に、泥棒に入った3人が過去のナミヤ爺さんから手紙を受け取る場面である。
地図 が 白紙 では 困っ て 当然 です。 誰 だって 途方 に 暮れ ます。 だけど 見方 を 変え て み て ください。 白紙 なの だ から、 どんな 地図 だって 描け ます。 すべて が あなた 次第 なの です。 何もかも が 自由 で、 可能性 は 無限 に 広がっ て い ます。 これ は 素晴らしい こと です。 どうか 自分 を 信じ て、 その 人生 を 悔い なく 燃やし 尽くさ れる こと を 心 より 祈っ て おり ます。 (Kindle の位置No.5055-5059).
爺さんや他の登場人物を通して、「何かを信じて、全力でそれに向かうこと」について伝えた来た作者が、物語の伏線回収と同時に読者に伝えたいことを簡潔にまとめている。
本当に過去に手紙が届いているのかわからず、適当にポストに投函してみた白紙の手紙。爺さんはそれにも「何か意味がある」と信じ、真剣に手紙を書いた。そしてそれは、未来の三人に届き、三人の心を打つものになった。
何かを信じ、全力でそれに向かうこと。私たちは大人になるにつれて、そうすることが段々なくなっていく。自分の能力を“適正に”判断し、それを軸に日々を生きていく。それは悪いことではないのかもしれないが、何かを信じること、そしてそれに全力で向き合うことで何かが得られるということを、東野圭吾はこの物語を通して伝えたかったのかもしれない。
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