20231211

 このところずっと考えていた。

 誰かを責めるとか何が正義だとかいう文脈ではない。

 「生きているだけで偉い」という言葉について、どのような類似表現ならば驕り高ぶっていると石礫を投げられなくて済むのか、万人にご納得頂ける表現になるのか、毎日ずっと考えていた。
 日々出会う人の多くが、心か身体を病んでいる。
 でもこれという答えが見つからない。

 あえて斜に構えるならば、

「生きているだけで嬉しい」わたしを喜ばせるために他人の生があるわけではない/共依存
「生きているだけでホッとする」同様
「生きているだけでいいんだよ」可能性の否定/許可が必要な生なのか?

 「生きていてくれて」に替えても同じ。すべてに発言者のエゴが介在し、また率直な心情吐露であったにしても受け手によってはこのような悪意の解釈ができてしまう。

 「生きているだけで偉い」これだけは主体がつらい人本人。
 評価を下す意味ではなく、互いの生き様をたたえる意味において病人やサバイバー同士で使っていたことがある。
 それは毎日息をするのもつらいような痛みと闘う同士だったり、ベッドから動けない悔しさをわかちあう仲間だったりした。
 無意識のうちに傷つけていたのだろうか?
 それとも大衆化してミームとなった弊害だろうか。
 もう亡くなったサバイバーの人たち、交流のある難病患者やうつ患者、同様の近しい人たちを思い浮かべては、反芻してしまう。
 多重に病を抱えている人たちと、生きている。どうしたらいいのか考えあぐねている。

 完璧な答えなんてあるのだろうか。わからない。ずっとわからないままでいる。

 病や困難を抱え日々対峙しながら、置かれた状況の理由は何か、なぜそうなったのかと裁かれ続ける人々のこともやはり考え続けている。
 多分社会から見たらはてしなく透明で、時に面倒臭いと言われてしまう人たちがいる。

 交通手段に困っている人たちをお手伝いしたら、無償なのにお惣菜をいただいた。
 あまりに申し訳なくて心が痛かった。だって、彼らは年金暮らしなのに。
 いまは小谷美紗子のGnuを聴いている。

 つとめて冷静であるためにぐるぐるする思考の元を見ないよう、Twitterをリスト閲覧にしたら、複数のリストでアンナチュラルが出てきて少しだけ和んだ。
 Threadsをひらいた。さんまさんの生い立ちを知らないだろう人が、彼の「生きてるだけで丸儲け」を品がないと非難する。目眩がする。

 ここは地獄なのかもしれないな。意味を見出さんとし、苦痛から生まれ出たことばにさえも。狩ることで得られるだろうカタルシスが埋める穴の大きさ。狩られていく表現の底で密かに横たわるもの。他者の表現そのものを嘲笑し奪うこと。表現とは。絶望の淵もただの段差も、他者から見たら十把一絡げなのだ。
 もし生まれ変わったら猫になりたいと言ったならば、猫には猫の苦労があるのだとわたしも非難されるだろうか。それとも。

 わたしに向けられた言葉というわけではなくても、わたしのように感じる人、わたしよりも様々な状況を見てきた人が恐らくいるはず。
 日々の仕事を通じて出会った、カフカの階段に苦しむ人たち。
 正答、正解とはなんだろう。

 思いもよらないような考えも、真逆の捉え方もあるだろうけれど、その持ち主が誰なのかは顔を見ても書かれてはいないから困る。ひとりひとり少しずつ異なる中で、何をどう声にのせたら在り方を許されたのだろうか。
 ずっと、ずっと胸がいたい。

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」