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知らざるを知り、しずかに祈る
どこもかしこも新型コロナウイルスの話題でもちきりだ。
職場でも、プライベートでも。ちょっとした空き時間にTwitterを見ることが多いけれど、そこでもやはりもちきり。
WHOがインフォデミックと言ったように、根拠に欠ける情報が氾濫しているように思う。
そもそもこれまで未知のウイルスだったのだから、確かなことのほうが少ないだろう。まさに現在進行中の、新しい事柄だ。
だというのに、やれ誰がどうだのと医療者同士ですら個人攻撃をはじめ、わたしのような一介の素人にはその意味がわからない。
相も変わらずメディア叩きに興じるもの、政治的主張のネタにする人までいる。転売や後出しジャンケンも横行している。
わたしはというと、それらをとても冷ややかな気持ちで見ている。
必要なのは喧騒ではないだろう。
誰しもが不安の中にあるとき、まったく予備知識を持っていないならば、公的機関の発出や極めて有力な専門家による発言のみを注視する。
わたしはそうする。
これは全く個人的な指針。
Twitterにおいては、新型コロナウイルス関連のような流動性の高い事柄については基本的に専門家の発言と公的機関による発出以外はなるべくリツイートしないように考えている。
報道過多は言及されがちだけれど、SNSには相当溢れている。では、ネット全体だとどんな数だろう。
学会や論文絡みはリツイートしたりもする。主にそれ以外、進行形の事案については、楽観論も悲観論も(または、そう見えかねないものも)どうなのだろうか。
もし外れたら、似非医療が発言者を叩くネタにはしないのか。──これはど素人によるただの杞憂で済むのかも知れないが、もしそうなった時の影響を考えると、大変怖いように思う。
ただそうは言っても難しくて、色々なきっかけ・難易度・語句・切り口があるからこそ伝わる人も結果的に増えるという節はまたあるはずだ。
しかし、それも専門家が担う仕事なのだろうとも思うのだ。専門家はひとりではないのだから。そして専門家にも、微妙な立ち位置や肩書きの違いがそれぞれある。使う言葉もきっと違う。
報道が大きなイシューを(時間を置いたりはしつつも)繰り返し流すのは、番組開始からずっとかぶりついて見ている人ばかりではないから。ザッピングでもしない限り、好みの番組を見るだろう。各局が報じるのは、民主主義の発達した国ならば当たり前の話。
切り口にも変化があるあたり、ちょっと似ているように思う。
報道繋がりで話がずれるが、キャスターの発言が無知に見えるのは、おそらく計算尽くだろう。
専門家と「知識が充分にある人」の会話になれば、予備知識のない視聴者は置いてきぼりになる。
打ち合わせも何もせずに仕事に臨むとは考えにくい。とすれば、あれは演出、いやボトム層への見せ方なのだろう。そうでなければ、何だかんだで話をしっかり締めるなど出来ないと思う。(生放送のコメンテーターはまた別の話。)
たまに発言が本当にずれていて心底苛々することもあるが、大概は「そういうこと」だと解釈している。苛々を感じたならば、そのスタンスはわたし向けではないのだ。
政治も同じで、はじめての問題で事が動いている最中に、充分な検証を待たずして安直な批判をする気は起きない。わたしにはそれだけの材料がない。
わかりようがない。わからないのだから、正しく批判をしようがないのだ。
ひたすら、上手いこと梶を切ってくれることを望むのが関の山。
手探りの今を頑張っている人々を無配慮に罵るのは、わたしのすべきことでは決してない。
誰しも自分の専門外には無知なものだ。
デマの否定にとどまるならまだしも、大声であれやこれやを叩きまわって混乱に手を貸すより、既に罹患された方のご快復と蔓延阻止を祈るしかない。誤解や混乱を招かないように、その道のプロ中のプロが練り上げたステートメントを回覧板よろしくまわすことくらいは、きっと許されるはずだ。
素人のわたしにできることなど、個人の正しい感染症対策を除けば、おそらくその程度のものだろう。
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