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すきなようにスキを叫べばいい
「この歳だけど、聴くのよ。」
この言葉の主は御年70歳を超える、人生の先輩だ。
彼女がはにかみながら「聴くのよ」と言ったのは、年齢が半世紀も下のダンスボーカルグループだった。
「えっ、いいじゃないですか。格好いい。」
すかさず言ったわたしに
「でも、年甲斐もなく、ねえ。」
と顔を赤らめる。
「わたし、モータウンやビートルズ聴きますもの。シナトラ、サッチモ、大好きですよ。好きなものの前には、年齢なんて飾りですよ飾り。」
その言葉に彼女はぱあっと顔を明るくして、
「そうよね!いいわよね!」
と笑った。
音楽でも、ファッションでも、食べるものだってそう。
好きなものを好きなように愛でればいいと思う。
年齢や性別、環境で縛られてしまうのはナンセンスだ。バンドTシャツは何歳までだとか、そんな決まり事はどこにもない。ファンクラブ、何歳までなんて決まりは多分ない。
好きなものを見つけた自分のことも、存分に褒めてやればいいと思う。
これは多分わたしだけの話ではないと思うのだが、好きなものは疲れ果てた時の支えになる。愛するメロディーやご褒美スイーツのために、なんとか踏ん張って前進できることもある。
本当にどうしようもなく疲れ果てて砕けそうになると、逆に好きなものに対してもまったく興味がわかなくなる。なかなか想像がつかないかも知れないが、寝て起きるだけで精一杯の日というのも、長い人生には訪れることがあるのだ。
つまり、好きなものは推進力にも、優秀なリトマス試験紙にもなる。そういうものを元気な時に、ちゃんと自分で見つけておくことは、本当に大切なのだ。
好きなものは欲張っていい。
つらさの種類によって、それまで大好きだったものたちの中に、一時的な区分が出来ることがある。
これは、今は無理。
これは、まさに今欲しいもの。
そうやってより分けなければならない時もあるから、両腕で抱えても零れ落ちるほどの「好き」があっていい。そのほうが、きっといい。
そして見つけた「好き」たちを、好きなように好きと叫べばいい。
そこから世界が広がることもある。その広がった幾つもの小さな世界が、いつかあなたの救いになるかも知れない。
居場所や駆け込み寺は、どれほどあってもいい。自分のために、ふかふかのクッションを置いた椅子を幾つも用意しておくといい。
表現が上手いとか下手だとか、感情の発露がどの程度だとか、そんな些細なことは全然気にしなくていい。
仕事にするならば話は別だが、プライベート、まして感情にまでいちいち細かいことを考えなくていい。
わかったふりの冷笑や、評論家気取りの辛辣さには、一切目を向けなくていい。
あなたの中のマグマは、あなただけのものだ。
◇ ◇ ◇
これはまったくの余談、昔していた仕事のお話。ご意見フォームを設置したら、全然関係のない地域の関係ない某コンテンツを愛でる人々が続々と押し寄せ、担当者一同大変に迷惑したことがある。
本来その人々のために置かれたのではないご意見フォームは、結局撤去することになった。
一応、何事も限度は大事、ではある。
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