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上流には何があるのか、またはないのか
たとえば、一本の川がある。
そこの水が止まる。せき止められている。
下流には複数の集落がある。
どちらも水を必要としている。
上流でせき止められている理由がわからない。
そのさまを見ているわけでもない。
そのまま集落同士で争いはじめる。
「そちらが流れを止めたんだろう」と。
我田引水のためだとか、嫌がらせとか、理由はなんでもいい。
そういう争いをネット上ではよく見かけるような気がする。
本当にどちらかの集落がせき止めたのか。
上流で第三者がせき止めているのか。
第三者がどちらかを陥れているのか。
スケープゴートにしてはいないか。
もしくは、第三者とどちらかが結託しているのか。
たとえば、ただ上流の障害物を取り除いただけでは、また誰かがせき止めるかも知れない。
何らかの強い意図と動機のもとに。
または、第三者に脅されたどちらかが、水の流れをせき止めなければならなかったとしたら。
水の流れが止まったのは、本当は何故なのか?
勿論、偶然に落石でせき止められた可能性だってある。水源の涸渇だってないとはいえない。
様々な可能性を視野に入れ、なおかつ上流で起きていることを想像し、実際に目にすることが大事なのに。
陰謀論に身を任せることと、これは違う。
考えが偏っていった結果の陰謀論というのはままあるようだが、そうではなく、もっとしっかりと漏らさず見ながら考える必要がある。
上流で起きている異変は何なのか。
複数の要素が絡み合ってはいないか。
その対立構造は正しいのか。
前提は常に正しくあるのか。
疑うことは、「常によくないこと」ではない。
誰かの悪意や好き嫌いに惑わされることなくありたい。いつだってそうだ。
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