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review「HELP EVER HURT NEVER」藤井 風

アーティストを問わず、1stアルバムには独特の煌めきがある。
デビューまでの蓄積、作りためた楽曲のうちの選りすぐり。そして初々しさに満ちている。
逆に言うと、華々しい船出の先はいずれ未開の地だ。ストックにキリがないわけではない。

わたしがここのところずっと聴いているのが、藤井 風さんの1stフルアルバム「HELP EVER HURT NEVER」である。
ここにあるのは漕ぎ出した小舟の可愛らしさでも、青葉の初々しさでもない。帆をしっかりと張った客船であり、約束されたエンターテイメント。未開の地へ向かうこの船は、相当豊かな資材を積んでいるようだ。

それもそのはず、辿ってみればYouTubeでの彼は10年選手。千本桜のピアノ演奏で話題になった少年こそが彼その人である。
これまでピアノやサックスの演奏、そして弾き語りを数多くアップロードしている。
 

彼の弾き語りを最初に見た時、あるアーティストを閃光のように思い出した。
デビューして1年経ったかどうかというあの日の彼女は、観客もいないその場所で、キーボードを楽しそうに奏でて歌った。放たれた音符がキラキラと輝いて、喜びとともにあたり一面に満ち溢れているようだった。音楽が人間の姿を借りたのだと思った。
その場に立ち会った人たちを、竜巻のように巻き込んで魅了した才能の塊。

彼女の名前はaikoさんという。

藤井 風さんの弾き語りに、わたしはその時の衝撃を感じた。
 

邦楽で似たような衝撃を覚えたのは、ジャパニーズR&Bの伝道者である久保田利伸さん、佐藤竹善さんのデビュー前CMにおける歌唱、そのセンスは説明不要のピチカート・ファイヴ、ラジオから流れた槇原敬之さんのデビュー曲、情報解禁と同時に聴いた宇多田ヒカルさんのデビュー曲、初めからとんでもなかったMISIAさん、そして渋谷HMVで聴いた途端あまりの格好良さに金縛り状態になったMonday満ちるさんくらいだと思う。

結構いる?いやいや、星の数ほどいるアーティストを、散々聴き漁った中でのこの数。両手に数えるほどしかない上、いずれも実力派。まさに錚々たる面々だ。
 

のだめカンタービレの「のだめ」のように、自由自在に音を操る。そのピアノには華がある。
本作「HELP EVER HURT NEVER」では、R&B、Jazz、クラシック、昭和歌謡、POPS、ラテン、クラブミュージック・・・・・・国も時代もジャンルも軽々と超えたレファレンスの充実ぶりが、音の端々に見て取れる。トラップビートの使い方が新しい。
本来ならば雑多で異質なそれらの要素を「藤井 風」という個性がぎゅっと纏め上げ、絶妙に洒落た2020年の音として完成させている。
そしてひとつ予言する、この音は古びない。それは音楽的バックグラウンドが非常に豊潤だからこそ成せる魔法だ。

ピアノは勿論のこと、ヴォーカルも素晴らしい。とても20代前半とは思えない、田島貴男さんや岡村靖幸さんを思わせる天性の色気。洋楽から多くの実りを得たであろう軽妙なグルーヴ感、研究と経験に裏打ちされたと思わしき多彩で細やかなテクニック。難易度の高い複雑なスキャットやフェイクを軽やかに聴かせる、その卓越した歌唱力に脱帽する。後述するリリックとリズムのマリアージュが心地良い。
どこをどう聴いても、これが本当に1stアルバムの仕事なのかと驚きを禁じ得ない。YouTubeはピアノカバー先行で弾き語りをはじめたのが2年前というのが嘘のようだ。かれこれ10年くらいはステージで歌ってきたような、いい意味での抜け感がある。

歌詞は特徴的かつ斬新、なんと岡山弁が使われていて興味深い。この岡山弁は歌唱に独特のハネを生み出す効果も加えていて、これまでの「方言=大阪弁、もしくはコミックソング」という邦楽あるあるをさらっと吹き飛ばす。
そのほか、歌詞には通常まず使われないであろう言葉の使用や、演歌・歌謡曲の十八番といえる女性主人公の楽曲もあるのが非常に面白い。
またメロディーに合うヴォーカルテクニックとしっくり馴染むように、韻や響きをしっかりチョイスしているあたりも頼もしい巧者ぶり。当たり前だが言葉のイントネーションとメロディの上下、そして譜割りにも目立つ破綻が見当たらない。内容としては極めて内省的だが、若く瑞々しい感性と大人びた部分が混在しているのも魅力的だ。

本作で注目されるのはデジタルリリースされ話題となったEPのタイトルトラック「何なんw」と「もうええわ」そして初期代表作となるだろう名曲「優しさ」の3曲だと思われるが、その他の楽曲も総じてクオリティが高く聴き込める。(注1)
4曲目「キリがないから」は、田島貴男さんのソウルと高野寛さんのポップセンスを混ぜ合わせたようなフィーリング(注2)を漂わせつつ、結局のところ藤井 風ワールドというかなりの快作である。90's音楽シーンを実体験したミドル世代にはたまらない一曲だろう。
また7曲目「特にない」における絶妙の気怠さとペーソス、ラストを飾る11曲目「帰ろう」の持つ世界感と表現の豊かさは、今後の活躍を期待させる仕上がりだ。

なお、本作は初回限定盤のみ洋楽カバーCD「HELP EVER HURT COVER」との2枚組となっており、購入が可能ならばこちらを強くお勧めしたい。発音はほぼネイティヴのレベル、こちらも聴いて損なし得だらけの1枚に仕上がっている。

極めて良質の1枚、いや初回は2枚か、2020年音楽シーンを代表する作品のひとつであることは間違いないだろう。さあまたリピートして、本人はもとより、サウンドプロデューサーのYaffleさん(Tokyo Recordings)をはじめとするスタッフの敏腕振りにも思いを馳せるとしよう。
──もっとも、聴きはじめたら音が思考をつかまえてしまうのだが。
 
(了)

HELP EVER HURT NEVER 藤井 風

HEHN RECORDS / ユニバーサルミュージック
初回限定盤 2CD・52pフォトブック付¥4400
通常盤 ¥3300

いま行け、未開の地。

 


(注1)本作品リリース時のパワープッシュはM3「優しさ」である。

(注2)余談だが両氏には「Winter's Tale~冬物語~」というコラボ楽曲があり、曲が似ているわけではないが真っ先に思い出した。ビールCMの企画で冬のみ、泡のような短期間のオンエアだったが、こちらもいい楽曲である。ホーンアレンジがEW&Fのようだとは後年星野源さんが言及したが、まさにそのとおりだと思う。

本記事ではたくさんのアーティストを挙げたが、誰かと誰かをくらべる意図はない。たくさんの音楽の中に同じルーツがあったり、ジャンルの緩やかな系譜があったり、または人の繋がりがあったりする。そういうものを探していくのも、また音楽のたのしみだと思っている。彼が数多の楽曲をカバーしてきたように、彼の楽曲も広がって影響を与えていくだろう。

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」

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