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支配する孤独/支配されない静寂
広すぎるこの世にたったひとりで立っている、という感覚を孤独と呼ぶならば、成長のどの段階でそれを意識しはじめたのだろうか。
そもそも、わたしは人間なんて孤独なものだと思っている。それを常々口に出してはいないだけだ。
完全な相互理解など、ない。
身内でも、友人でも、そんなものはない。
見えている色が厳密にはひとりひとり違うように、母国語が同じでも言葉のニュアンスがひとりひとり違うように、完全に分かり合えることはないのだ。
もし完全に相手のことをわかると思っているならば、それは幻想か思い上がりでしかない。
本当はきっとみんな、孤独の中を生きている。
完全に重なることがないからこそ、思いやりという潤滑油が必要になる。
上手くやっていくために、上手く生きていくために。それは優しく甘くコーティングされた生存のための知恵であり本能だ。
もし孤独に支配されているのならば、きっとそれは美しい夢を追い掛け過ぎてしまったというサイン。
所詮他者の手を借りなくては生きていけないのだから、どうしたって真に「ひとりきり」などではないのだ。ただ、元から存在していた「孤独」にフォーカスしすぎてしまっただけのこと。
誰の心の中にも、他者に支配されない静寂がある。
それは仄暗いようでいて、本当は自由であることの証左なのだ。
だからどうか、とらわれすぎないで欲しい。
孤独に突き動かされて濡れた藁を掴む前に、本当はみんな孤独なんだと気付いて欲しい。
それは決して悪いことではないはずだから。
いつか受けた思いやりも、羨ましく見える優しさも、本当はその人の孤独から生まれているもの。
みんな自分と同じなら、相手に気など遣わなくなるはずだ。支配されない場所があるからこそ、君はいつだって君なんだよ。
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