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存在と不在の隙間
どうしてなんだろうな。
見えないものを評価するとき、人間は気持ちのよい方に偏ってしまうことがある。
くっきりと見えないものこそ、自分の気持ちよさから一歩離れて、いや出来るだけ離れて見る必要があるのに。
油絵を鑑賞するときのようにね。
見えないけれどたしかな「存在」と、見えるコンテクスト「不在」の隙間。
あわいを読む、可能性をいくつも考える、引き寄せとその真逆を繰り返す。検証と否定、多様なパターンを記憶から引きずり出すさま。
気の遠くなるような作業をしても、ひとは自分以外にはなれない。
自分以外になどなれない。
どんなに真剣に思ったとて、それが真っ直ぐやわらかく届かなければ意味をなさないことだってあるのだ。
まして、胸を突き刺し抉るような言葉など、放ったそばからひとを傷つけていくだけだ。
同調した人間が、さらに矢を放つ。
その危険性をいつも意識している人が、どれほどいるのだろうかと、ふと、思った。
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