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楽しむ、をそのままに
見つけたらラッキーらしいスターアポロ。
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フォロワー諸氏がざわついていた。察するに、好きなミュージシャンに対するスタンスの違いか何かだと思う。よくあることだ。
何があったのかは知らないが、推し事くらい好きにすればいいと思う。押し付けるとか圧力とかやらかしはどうかと思うけれども、そうでない限りは自由なのだ。自分の城をほいほい易々と明け渡す必要など、ありはしない。
Twitterには、フォローリムーブミュートブロック以外にリスト機能もある。NGワードも指定できる。まったく機能設定が丁寧だなあと感心する。
他人様に文句を言うよりも、自分で整えるスキルを身に付ける方が早くて健全だと常日頃思っている。
とどのつまり、スキルがない人ほど他者にマイルールを強いるのだ。リスト機能を使いこなせば災害時にも大変役立つので、ストレスある人ほどこの機会に使いこなしてみるといいんじゃないか──などと考えて、タイムラインに文字をぽとりぽとりと落とした。
ジャンルや分野問わず、何処にでも自らの闇やマイルールを雪玉にして投げつけてしまう悲しい向きがいる。ああそうか、この人は好きなことすらも後ろ暗さに目を向けてしまうのか、と思う。日常の柵や世知辛さから解放されるはずのその場所でなお、暗闇を見つけるために躍起になってしまう。向こう側に居るのは感情のある人間だということをすっかり忘れたふりして、モグラ叩きのモグラを探す。自分の定規で他者を一々計測する。
その陰にどんな事情があるのかなど、わかりようがない。知らない。知らないことはなかったことにはならないが、だからといって安全圏から赤の他人に向けて私刑よろしく周りにネガティブの塊を投げつけていいわけでも当然ない。そうされるだけの確固たる根拠など、何処にもありはしないのだ。
自分が「対応してもよく/対応できる範疇」の外に問題があるとき、そこを注視し続けるのは負荷になる。楽しみを楽しみとして受け取れなくなる。
きっかけがどうあれ、「見たくない見たくないと言いながら注視しては不満にまみれて文句を連ねる」ということの不健全さに気付かない限り、改善は難しいのだ。同じようにまた負荷を抱えながら、他者の思うまま自らの楽しみを闇に変換などしなくてもいい。
大人ならば、他者という存在は自分の完全なコントロール下にないことを知っておくべきなのだ。
物事に気付く契機も、いまどちらを向くべきかに思い当たるタイミングも、学んだり消化する速度も人それぞれでいい。背景も感じ方も千差万別、常にパーフェクトを叩き出せる人など多分いないだろう。常に自分こそはパーフェクトだと思っているならば、相当な独り善がりにすぎない。
他者を正解不正解や善悪で軽々に切り分けず、互いの歩みが交わるかどうかも簡単には決め付けず、自らの道を行けばいいだけ。そのために何の機能が使えるのか、有用なスキルには何があるのか──これは確かにTwitterの話だが、Twitterに限った話ではないのだ。
スターアポロを見つけたとき、「ラッキーで良かった」と思う人と「食べたら無くなるのは悲しい」と思う人がいるだろう。では、そのどちらが正しいだろうか?または、どちらかが正しいのだろうか?或いは、悲しむ人がいるくらいならばはじめから無かったほうが良かっただろうか?
綺麗に割り切れるのは、偶数の割り算と勧善懲悪の御伽噺くらいで丁度いい。そして楽しみは、たくさんあればあるほどいい。抱えきれないほどの楽しみで、夜も波も乗りこなしていけるように。
◇ ◇ ◇
ただし、根を詰めすぎて義務になってしまうと、人は早晩燃え尽きてしまうもの。
何事も、ご利用は計画的に。
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