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たとえば、旅をするとして

たとえば、同じところを目指して成人が旅をするとして考える。

Aさんは生粋の乗り鉄なので、知識を駆使して出来るだけ沢山の路線を経由するように旅をデザインした。
Bさんは速さ重視、新幹線とレンタカーを使う。
Cさんは飛行機とタクシー。
Dさんはなんと自転車で向かうという。
Eさんはヒッチハイクするらしい。

時間と予算に縛りがなく、周囲とのスケジュール調整が出来ているならば、これら全て正解。
誰がどのような観点で、またどのような価値観で旅をデザインしても、それは個人の自由だ。

たとえばFさんが登場して「キセルして行くわ」と言ったらこれはアウト。犯罪行為だからだ。
でもAさんからEさんまでの5人は、自らの責任のもとで行うならば、別に咎められる理由はない。

昨今、分野を問わず、自由意志による選択がやたらと炎上しているような気がする。
本来ならば他人が介入すべきでないような個人的な内容であっても、やれ情弱だのニワカだのと一々炎上する。
流石に不寛容が過ぎるのではないだろうか。その道のプロでない人に、プロの知識やスキルを求めすぎているように思う。

勿論、影響力の強い人があからさまに誤った情報を拡散するのは、非常に危険なことだ。それが命に関わることなら尚更。
だが、それは一時の過ちなのか悪意からなのか、その線引きは他者が勝手にしてよいものなのだろうか。
その「線を引く権利」は、いったいどこから湧き出たものなのだろうか?

寒くなるこの季節だから暖かくしたいのはわかるものの、やたらに燃料を消費していては、長い旅では経済的に疲れ果ててしまうだろう。資源は大切にしたいところだ。


狭い世の中だ。それが誰であれ、旅のどこかですれ違い、時にはひょんなことから同行するかも知れない。
常に相手の立場からのifを想像する。他人の敷地に勝手に線を引かない。指摘する必要があるならば、相当かつ相応な理由がない限り、いきなり怒鳴りつけたりしないこと。
それはやがて、周り回って自らの旅をより良くするのではないだろうか。

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」