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それをわけるもの
プロフェッショナルとアマチュアの違いのひとつに、どこを見ているかという点があるかと思う。
対価を貰う、または貰わないにかかわらず、ひとつのプロダクトが出来上がり評価される中で、そのどこに視点をおいているのか。
たとえば、「アイデアは良かったよね」「頑張ったのだから仕方ない」という言葉がある。
これは、道程(工程)を重視する考え方。
それも悪くないとは思う。ただし、自分を労る真夜中のひとときや、仲間内での慰め合いならば。
何らかのプロを名乗って仕事をする以上、出来たものが駄目なら駄目と自ら認めることは必要だ。そうでないと、次の機会はないし、あっても前に進めない。
もし、出来たものの中に良いところと悪いところがあるならば、どちらもよく見た上で悪いところをなくす努力をきちんとする。
若い頃は、これがわかっていなかった。
「こんなに頑張ったのに」
「これほど考えたのに」
でも、それがきちんと思い描いた形にならなければ、ただの言い訳にすぎない。
先だって炎上した某メーカーのキャンペーンにしても、最初から炎上するつもりなんてなかったはずだ。
考えて、企画をつくって、それを実行しただろう。
性的搾取だ、と言われるとは思わずに、かわいいは正義だと考えていたに違いない。
その「かわいい」の視点が企業キャンペーンに相応しいかどうか、またきちんと本来の趣旨を踏まえられるか、という視点がごっそり抜け落ちていただけで。自分の好きなものを広めようとすることにも、リスクはあるのだ。評価が、思考が甘くなる。
そして、経過ではなく結果が企業イメージに影響する。
志が高いならそれでよい、というならば、世の中の不正や犯罪だって見かけ上ごっそり減るだろう。正義を語る悪なんてごまんとある。似非医療だって、金儲けのためだけではなく、人助けのつもりではじめたケースもあるだろう。
出来上がったものに責任を持ち、批判があればそれを精査し、建設的な意見は次の課題として繋げる。
言葉にすればたったそれだけのことが、実は一番難しい。
感情があるからだ。
不思議なことに、感情というフィルターを通した途端、非難と意見が見分けにくくなる。そして時に、階段を踏み外す。
近年、何をやってもだいたい誉められる仕事というのが増えた。
これが一番怖い。本当のところが、見えてこないからだ。改善点を自ら探し出すしかない。視点が多様でない。
自分と他人、工程と完成、自負と評価。わけるものは、大事だ。
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