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吟味して価値を学ぶ
同じ言葉や同じ表情でも、受け手の状況で感じ方は変わる。
それはそのコンテンツが悪いわけではない、ことが多い。個人の生き方をクローズアップするもの(センシティブな部類)やヘイトなど、例外はあるけれど。
独善的にコンテンツを腐すのは、あまりよくないことだと常々思う。ただ、そっと距離をおけばいいだけ。
大好きなアルバムで1曲だけ聴けない曲がある。
とてもいい楽曲だし演奏もいい。
でもその歌詞は今はダメなんだ。
そういう時も、ある。
作品との距離がいつか縮まることを願いながら、ただそっと寝かせておく時間もある。
希死念慮や見捨てられ不安がある人にはキツいもの、眩しすぎて目が眩む類いのもの・・・・・・。
そういうものを見えないように丁寧に畳んでしまうのが、生活の一部になることはある。
手が触れないように、目の届かないように。マイナスの感情を揺さぶられないように、オーガンジーに包んで箱にそっとしまう。
泣いても、苦くても、コンテンツのせいじゃない。
○○警察と言われるような取り締まりばかりが増えていって、書物も音曲も果ては銅像までもが白眼視されるようになった、いま。
ひとりの受け手として、適切な距離を保てるのか。そこから何を学ぶのか、文化を毀損する可能性はないのか、じっくりと吟味する力が問われているのではないかと考えている。
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