見出し画像

吟味して価値を学ぶ

同じ言葉や同じ表情でも、受け手の状況で感じ方は変わる。
それはそのコンテンツが悪いわけではない、ことが多い。個人の生き方をクローズアップするもの(センシティブな部類)やヘイトなど、例外はあるけれど。

独善的にコンテンツを腐すのは、あまりよくないことだと常々思う。ただ、そっと距離をおけばいいだけ。
 

大好きなアルバムで1曲だけ聴けない曲がある。
とてもいい楽曲だし演奏もいい。

でもその歌詞は今はダメなんだ。
そういう時も、ある。
 

作品との距離がいつか縮まることを願いながら、ただそっと寝かせておく時間もある。
希死念慮や見捨てられ不安がある人にはキツいもの、眩しすぎて目が眩む類いのもの・・・・・・。

そういうものを見えないように丁寧に畳んでしまうのが、生活の一部になることはある。
手が触れないように、目の届かないように。マイナスの感情を揺さぶられないように、オーガンジーに包んで箱にそっとしまう。
泣いても、苦くても、コンテンツのせいじゃない。
 

○○警察と言われるような取り締まりばかりが増えていって、書物も音曲も果ては銅像までもが白眼視されるようになった、いま。

ひとりの受け手として、適切な距離を保てるのか。そこから何を学ぶのか、文化を毀損する可能性はないのか、じっくりと吟味する力が問われているのではないかと考えている。
 
 
 

いいなと思ったら応援しよう!

なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」