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笑えばいいと思うよ
向かい風に立つ姿は凛々しく素敵だ。
でもそれだけが人間じゃないよね。
それなりに生きてくれば、それなりの失敗や挫折はある。
でも、それが外側から見えにくい職業、見えにくい属性というものもあることを知った。かつてはそんなふうに誤解されることがあった。とはいえ、狭い世界の狭い人間関係の中ではあるけれども。
昔わたしが片隅に籍を置いていた職業も、どうやら外側からはキラキラとして見えるらしい。
小さな箱の中ではプレッシャーもあるし、過労も失敗もあった。雑務に次ぐ雑務、上役も雑務、雑務をかき集めたらひとつの形へと、追われに追われて日が暮れる。暮れた後もお仕事。更けてなおお仕事。(このタイムマネジメントに関しては、今は随分変わってきているらしい。)
正直、わたしとその属するセクションはあまりマッチしていなかったと思う。吐きながら仕事をしても、どうにもならなかった。他に声を掛けられながら、しがみついてしまった。ご迷惑もたくさん掛けたと思う。ご多分に漏れず挫折を存分に味わった。
諸々あって、一人前になどなれぬままにわたしはやがてその場を去った。
その後はまったく違う職に就いている。でも、履歴書のソレは残る。名前も顔も全くのクローズドではなかったから、そういう過去の話になることもある。
「いいお仕事してましたね」の裏にある「苦労なんてわからないでしょう」だったり、「華やかじゃないですか」の裏にある「チャラチャラしやがって」だったり。棘がグサグサ刺さる。「セクハラおじさんいるんでしょ」みたいな質問もよくされたなあ。
──いやいやいや、むしろ苦労だらけだよ!
──でもいい人いっぱいいたよ!
そんなに楽でチャラチャラしているなら、みんなが続々と身体壊したりしないんだけどなあ、離職率もなあ・・・・・・などと思いながら、何となく誤解をやり過ごす。(勿論、どの職業でもそうであるように、一部にはチャラチャラして見える人もいないわけではないけれどね。)
で、どうしているかというと、最近はもう開き直って持ちネタにしている。
その経験のさわりを話すことで、相手のかけている「心のメガネ」が可視化されるからだ。フィルター、イメージ、そうレッテルと換言してもいい。もっと別の強い言葉はあるけれど、それは使わない。
強烈なレッテルで人を判断する相手を、あらかじめ篩にかけられると思えばお安いものだ。明らかに嫌な顔をしない人なら、その後もなんとなく上手くはやれる。
そうしてツカミが出来たところで、場合と流れによっては失敗なども話したりする。
意外なんだろうね、わりとウケる。
いいんだ、笑えば。笑えばいいと思うよ。
それで垣根がひとつ減るなら、全然構わない。誰だって蹴躓いて傷の幾つかを作るんだ、そこにいるのは人なんだ、そう気付いてもらえるならね。
そこから見えてくるものはあると思うから。
職業を十把一絡げに評価するということは、それが何の職業であれ、そこにいる人たちを「人間」として見ていないということだ。それが職業でなくても、たとえば国籍や住まい、趣味でも同じことだ。
でもわかるかい?世間は無数の人間で回っているんだよ。
笑ってそれに気付くなら、それは素敵なことじゃないか。
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