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ありふれた中に
どの世代が悪いとか、あの人達は狡いだとか、そんなSNSに渦巻く重い空気に疲れ果てていた。這々の体で、何もかもがつらく感じられていた。
匿名だからこそ思うままを書き付けられるのであれば、人間は実に怖いものなのだろうと。
たとえば。
そんなことをいちいち考えるのはおかしいのかもしれないが、縁石の角が緩やかなカーブに丸められていたり、ガードレールの端っこがくるんとなっていたり、ああいうものの中にはささやかな愛やいたわりがある。少なくともわたしはそう感じている。
誰かが怪我したり傷つかないように、誰かがあのデザインをわざわざ施している。そういうものが世の中には、驚きを超えるほどに満ちている。
今ならば「デザインに曲線を用いるのは訴訟回避のためだ」と言う向きがあるのかもわからない。しかし振り返ってみても、訴訟が一般的になるそれよりもおそらく前からあのようになっているように思う。
日常の中に溶け込むプロダクトデザインにも愛やいたわりが隠れていて、知らず知らずのうちに受け取っている。受け取っているとも気付かないくらいの、たとえるなら太陽の光を浴びるくらいの自然さで。
そういうのすてきだな、と思う。
もし誰しもが「自分だけがよければいいや」ならば、縁石の角を丸めたりガードレールの端っこくるんを作るコストは削られていただろう。そもそも、思いつかなかったかもしれない。
そういうものをたくさん受け取っている。毎日、多分ほとんどはささやかすぎて気付かないうちに。
本当のことはいつも、ありふれた日常の中にこそある。それらを日々受け取ってきたからこそ、インターネット上に溢れる怨嗟と分断が、ひときわかなしい。
人間に両の面があるなんてわかっている。どうにもならないことも。わかっていても、だからなおさら。
街の中、あちらこちらにある配慮といたわり、それは誰かを思う気持ちから生まれているはずだ。
自分から誰かをおもう、知っている誰かから見知らぬ誰かへ。想像は創造へと繋がり、やがてやわらかい実を結ぶ。
誰かが同じようにおもってできた果実の甘さに気付いて、受け取る。受け取ったらまたそれを返していく。
すてきなものはどこまでも、風のように循環していくといい。
障害者が不便さに声を上げて設置が進んだエレベーターに、鏡や手すりが設けられていること。足元にお気をつけください、の見やすい表示。キャップに刻まれた印や、誤嚥した場合を想定した空気穴。紙の角を丸く切り落とすためだけのパンチ。いつかの人々が、よりよい未来のために作り上げてきたインフラ。
もしくは警句の中に。津波がどこまで到達したのかを石碑にして残した人たちがいたように、戦いがどれほどの命を失わせたのかモニュメントが残されているように。
そういうもののすべては、愛だ。
デパ地下やスーパーに行く。
わたしは魚もとれないし、家畜を育てられない。卵をたくさんとれるほど鶏を飼育する場所もないし、畑や田圃で充分な作物をつくる技術もない。
だいたい全部誰かにしてもらっていて、輸送もパッケージングも全て終わったあとのものを買うだけ。
そのパッケージも、原材料からデザインや生産と人の手がかかっている。そうやって何かをつくる人たちを支える人たちがいて、その原動力となるお身内がいる。
わたしの仕事も誰かの役には立っているはずだ、しかしそれ以上にしてもらっていることばかりですごいな、と時々ふと思う。
以前住んでいた地域の街灯は、自治会(高齢者)と子ども会(主婦)が陳情して増やされたと広報で読んだ。わたしが安全に仕事に行けるのは、彼ら彼女らが知らないところで何かをしてくれていた結果だ。結果だけを受け取っていた。誰なのかはわからないから、お礼すらも言えない。
それでも誰も、褒めてともすごいでしょうとも言わずに。
考え出すと気が遠くなるが、それらが当たり前に日常にある。当たり前ではないはずなのに、当たり前の顔をしている様々なものやことすべて。
どんなに優れた人であっても、ひとりきりで生きている人はいない。
ひとりきりで生きてはいけないから、それぞれに支えられていて替えがない。
個々の存在自体には替えなどないけれど、役割には替えがある。
誰もが特別であり、特別ではない。
たとえ特別ではなくても、より良くより優れた道を探すことはできる。
そのはずなのに、既にある恵みや愛を受け取れなくなってしまうことが、鋭利な言葉が溢れていることが、追い詰められ掻き立てられていく人々が、ただとめどなく苦しく悲しかった。
誰もがみな幸せになればいい。ひとり残らず、わたしを嫌いな人もすべて。きっとずっと、知らぬ間にそのように願われてきたはずだから。願いを受け取って生まれた笑顔が、また違う誰かにそっと繋がっていけばいい。
そう祈りながら、しめやかに一年が暮れてゆく。
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