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すべて見通せはしないから

 心が病んでいる人に「死ね」という言葉を言ってはならない、という主旨のツイートを見かけた宵の口。

 まあ、そりゃそうだ。けれど、その言葉は「心を病んでいる人」だけに禁忌なのだろうか?そうではない、誰に対しても駄目だとわたしは思う。言葉狩りと言われようが構わない。
 
 そもそも相手の心が病んでいるかどうかなんて、人は常に正確に把握できているのだろうか。

 崖っぷちでなお微笑む人もいる。ギリギリの場所、あと一歩踏み出したならばすべてが終わる地獄の釜の縁に立って、時折振り返りながらタナトスと対峙する人がいる。
 表面張力の水を溢れさせてしまうかもしれない。その可能性に気付けるか、どうか。他者を守る方へと想像力は働くのか。

 冗談では済まされないこと、取り返しのつかないこともある。時間の矢、常に一方向に進むそれをねじ曲げることは出来ない。
 好き嫌いも相性の合う合わないもある。どうしても許せないことがあってもいい。心の中でひとり考え思うことは自由だ。そして、いつだって人間は2の倍数よろしく簡単に割り切れるようには出来ていない。

 だが相手の存在、命そのものを軽々に否定するようなことはよろしくないだろう。仮に自分と合わないからといって、他者にとってはかけがえのない人物かもしれないのだ。

 存在までを裁けるのは、法しかない。

 とてもカジュアルに、軽々しく他者を罵る人を、わたしは美しいとは思わない。ネタだよ、いじりだよ。そんな言葉にしてしまえば許されると考えるような向きのあることも、とても残念に思う。
 そうした言動の陰にもし曲がりなりにも理由があるとするならば、その人もまた何らかのかたちでケアされる必要があるのかもしれないね、とも。
 

おまけ。すきな曲をふたつ。


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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」