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三分の一、散文の位置

市中感染の抑制がきかない昨今、世知辛いニュースが増えた。
自然と考えることも増え、中途半端なタスクのようにうっすら積み重なることすらある。
勿論、自分の中では整理整頓がなされ、あるべき引き出しに振り分けてはいる。そして、タイミングや追加情報を待っている。

第一報(または早打ち)は第一報以外の何物でもない。だから、いたずらに一喜一憂する意味もさしてない。
ただ、SNSでは瞬く間に広がる。拡散される中で、裏取りに基づかない様々な尾鰭が加えられていく。それは、あちらこちらに根付いて残る。

正しい情報を正しく広めようとする機関(または専門家)があるならば、あまり彼方此方の情報を回さずともいいだろう。
そう考えて、このところTwitterでは堅い有益情報を回す割合を減らしている。特に医療関連。割合としては、その日のツイート数の中でどれほど多くても三分の一までと、ぐんと減らした。
この三分の一、適当に決めたのではない。伝えることがあるとして、そればかりだと重いというのは、遠い昔にアルバイト先の上司から教えられたことだ。
随分アカウントの性質が変わったな、と思われているかも知れない。

そもそも楽しいわけでは全然ない内容ばかり目にしていたら、大概疲れてしまう。疲れることはやりたくないものだろう。
だから、全体的にやさしくてやわらかい、それでいてしっかり役に立つと思われるものだけを選ぶ。出来る限り、角がとれたものがいい。
同じ内容で記事が幾つかあるならば、誤読されないよう慎重な言い回しのもの。注意書きがしっかりあるもの。

それ以外は、このところ呟くようになった趣味でいい。いや、むしろ趣味がいい。好きなものを弾むように書く。
いまちょうど趣味の業界はこの難局に立ち向かっているから、可能性を広げるように願いながら呟く。
とりとめなんかなくてもいい。形式なんてなくていい。

好きなものへの眼差しは、自らの中に光をもたらす。
本当にどうしようもない時は、好きなものにすら視線を向けられなくなる。そうならないように、光を集める。
集めた光を呟きにこぼす。誰かがそれを見つけ、拾うだろうか。
わたしもそこかしこから拾おう。そして享受する。非日常をくぐり抜けるために。
 

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」