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包まれるのならば

流行病の話題で、Twitterが荒れに荒れている。

ワイドショーに出演した専門家による告発めいた発言で、今日はもちきりだ。
昨日は愚にもつかないデマでもちきり。
その前は、刺激的な動画配信でもちきりだった。

少なくともこうした話題について、客観的な情報が著しく不足しているにもかかわらず、どこかを名指しで批判するのはあまり美しい所作と思えない。
いち素人が、どちらの立場から見る、というのも不要かと思う。

主張が関わっているかも知れない。情報元がいい加減かも知れないし、意図があるかも知れない。精度がわからない。
そうした「わからない」ものは保留がベスト。検証は事情のわかる人間がすればいい。
そしてそっと、結果を受け取る。
一見ただの人任せに見えるかも知れない。ただ、どうやってもわからないことで消耗するのは、あまりに意味がない。
わからないことをわからないと保留するのは、自らの立場を謙虚に見つめることが出来ればこそだ。

コンセンサスもとれていない様々な発言や臆測が、今日もたくさんの素人を惑わせる。

こうしたイシューについては、医療のほか外交・貿易・国内経済・そして教育、内政に関してはかなり多くの分野が関わってくる。

様々な要素が複雑に絡み合うことなのに、「自分から見えている景色」だけで騒いでしまう人がたくさんいるのは、きっと不安だから。
でも不安で殴り合いをしても、傷が増えていくだけなのだと思う。残念ながら。

そして傷から入り込んだ数々の疑念は、やがてその人を蝕む。

ある視点からの正しさを、分断やパニック誘発のために使うことはよろしくない。
広く広く捉える、別の視点を想像する、それは必要なことだと思うのだ。

誰かを叩く前に、その人は悪意があってそうしたのか、その人自身が騙されていたりはしないか、他の要素は介在しないのか、よくよく考えたほうがいいと思う。

そもそも、生まれてこの方一度も間違えずに生きているという人には、未だお目にかかったことがない。

正義を武器として振りかざす前に、やさしさを思い出すことは難しいだろうか。
それはパニックを引き起こさないための、有効な手段だと思うのだ。
分断からデマをさらなる拡散へ導いてしまうことも、有る程度は防げるのではないだろうか。

表現によっては訴訟リスクがあるのも考えたほうがいいのだが、それ以前の問題として、立ち居振る舞いは大切だと思うのだ。

包まれるならば、諍いや疑念でなく、やさしさがいい。
そして粛々と、自らに出来ることをするのだ。明日も、明後日も。

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」