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ほんの少しの
林檎を使ってジャムをつくるとき、ほんの少しラズベリーを加えると、とても美しいロゼピンクになる。
味もすきだ。ベリーの爽やかな甘さが加わって、ちょっとしたアクセントにもなって、いい。
勿論それはもう林檎ジャムとは呼べなくて、でも何と呼んだらいいかわからない。
曖昧で美しいジャム。
決意や矜持は、とても大事なこと。
けれど、曖昧でグラデーションなものの中に、大切なものが潜んでいることもある。きっとある。
勿論、こうしたジャムをつくるとき、当たり前だけれど混ぜるものは美味しく食べられるものでなければならない。幾ら美しいからといって、ジェムや貝殻を混ぜるわけにはいかないから。
それに味が喧嘩するものを入れたなら、すべてが台無しになってしまう。先人が散々試してダメだとわかりきっているものに、敢えて手を出すことはない。食材が無駄になってしまう。
プロトコル、レシピ、そうしたものがわかっているからこそ、何を加えたら新しくて良いものが作れるのか、その「答えにつながる」ヒントが僅かに手に入る。
まず基礎があって、それを理解出来てから次に進める。
我ながら若干面倒くさい性分だが、食べ物をつくることは絶え間ない思考だと思う。
調べる。考える。材料を手に入れる。考える。工程に入る。考える。味見をして、また考える。
何かに気付くことがある。そして結果が出来上がる。食す。
自分の「ほんの一部」が更新されてゆく。新しいレシピを手に入れ、満ちて、また次へ。
ゼロにはならない。少しずつ積み重ねられる。ほんの少しずつ。
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