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評価と価値
なんで、どうしてわかってくれないのかなあ。
そんなことを思う瞬間が、誰にもあると思う。
専門家が本当に必要と判断する物事でも、一般にはその必要性が伝わらないことがある。
体系的に学んでも、実務についていても、他者にそれを上手く易しく伝えることに長けているとは限らない。
伝わらないまま「不要」「不公平」「不可解」とされていることが、世の中にどれほどあるだろうか。
SNSではそれがひらひらと舞い、いつしか集まり、そして何かを叩きつけていく。満足そうに群集が去ったあとも、非常時にならない限りその必要性には気付かれないままだ。
居於治不忘乱(治に居て乱を忘れず)
吉田茂の言葉だ。
治の中にあっても未来の乱を見据えて議論を尽くし、検討に検討を重ね、そうしてできているものがある。それを軽んじるのは、人の悪い癖。
プロの仕事の裏側は、実際に目にしないと、いや目にした程度ではそうそうわかるものではない。
立場が変われば、話題のトピックが変われば、あなたもわたしも無意味に批判され得るのだ。今の殺伐とした世論は、ロシアンルーレットにも似ている。
評価と価値は必ずしも一致しない。
頑張っている全ての人に敬意を。頑張って疲れ果ててしまった人に、優しさを。頑張れなかった人にも、心からの思いやりを。
無知から生ずる評価より、価値を認めあう世の中であればと思う。
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