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なぜ炎上が好ましくないのか

あくまで個人的な考えとして、所謂「炎上」がなぜ好ましくないのかを書き留めておこうと思う。

以前使っていたSNSアカウントは、フォロー/フォロワー数が少ないにも関わらず度々バズった。
不思議なもので、バズると必ず文脈を全く無視したリプライがくる。読んでいないのに特定のキーワードに反応しているもの、単純に読解力がよろしくないもの・・・・・・。

わたしは元々文章作成も仕事のうちだったので、変な誤解を招かないように書くことには比較的慣れている方だと思う。思いつく限り、ありとあらゆる可能性を考えて書く必要があったから、その名残でSNSでも激しい言葉は殆ど用いない。

それでも、どうやったらそのリプライが導けるのかと首をひねるような言葉が飛んでくる。そういうリプライは、得てしてとても扇情的で攻撃的だ。
ここでもしこちらも攻撃的になると、警報フェロモンに導かれた蜂の大群のように、たちまちアンチ集団が形成される。炎上である。(ちなみに無視して別のツイートをしても、粘着されて炎上にもつれ込んだりする。)

そこで当時わたしはどうしていたかというと、バズった段階で、好意的なリプライにも攻撃的なリプライにも、分け隔てなく至って丁寧な言葉で返事を書いた。それぞれの使用語彙に合わせた、読解しやすそうな難易度で。
そういう反応が来るとは思わないのだろう、粛々と会話は進みなんとなく収まってゆく。ある人は視点や前提条件の違いに気付き、またある人は専門知識の不備を知る。わからない人はそのままでいいので、周囲が見て納得しそうなラインでやり取りを打ち切る。
その様子を見た別のアカウントが解説をはじめ、そちらにファボ(いいね)がついていき、新規の攻撃的なリプライは少なくなっていくのだ。

ここまで読んだ方ならお気付きかと思うが、非常に重労働だ。割に合わない。無償でするようなことではない。
しかも早期に事を終息させるためだけならば、その必要はあまりない。鳴り止まない通知で電池はどんどん減っていくのだし、いっそアプリを開かなければいいだけだ。割り切って暫く一切見なければ、終息したかどうかを気にせずとも済む。

ではなぜそこまでするのか。

第一に、炎上だけが残ること。
当初のツイートで言いたかったことはかき消え、炎上したという派手な印象とレッテルだけが残る。
アンチはそのツイートを良く覚えている上、何ら解決をしていないという印象が残るので、以後は何を言おうがただ火に油を注ぐだけだ。
この状況でのブロックは、むしろ相手の粘着を生むのであまり意味がない。複数アカウント持ちならば、容易に見ることが出来るからだ。

第二に、炎上芸人になる危険性。
炎上に慣れると、注目されることで承認欲求を満たしてしまい、どんどん言葉や振る舞いが乱雑になる。派手さを求めて、リスクや相手の気持ちを考えなくなっていく。喧嘩腰が当たり前になってしまう。
様々なアカウントによるそんなやり取りを幾つも見たが、わたしはそうはなりたくはない。

第三に、コントロールが出来るかどうか。
中途半端なバズりならさしたる問題はない。だがフォロワーが500-1000前後のアカウントでも、インプレッションで単独50万を超えるくらいになると、ツイートランキングなるリプライがついてくる。すると、パクツイが出回りはじめる。パクツイが出回りはじめると、次は勝手にアニメか何かの知らないキャラクターが話していることにされる。パクツイと二次創作の、夢の(?)コラボレーションだ。そして時にまとめサイトに収載される。
自分でツイートしたものは、しようと思えば簡単に削除出来る。だが、それ以外はそうはいかない。
昨今はパクツイ警察が目を光らせているが、まとめサイトもありコントロールは依然として困難だろう。

周囲に迷惑を掛ける気がなく、リアルにも影響を与えたくはなく、言いたいことがしっかりあるのならば、おそらくは炎上なんて良いことよりも悪いことの方が圧倒的に多い。
炎上を焚き付ける人、囃したてる人は、その意味においてはフレネミーのようなものだ。いつか破滅するように、その道を綺麗に舗装しているに過ぎない。

書く時にはバズっても極力炎上しないように、他の視点・視座の存在を前提にして丁寧さを心掛けることが肝要だ。読む時には嘲笑や罵声を投げつけないことが大事だと思う。アカウントがリアルに繋がっているのならば、ネタにしていいことと向いていないことをよりシビアに見極めることもまた大切だろうと考える。

自戒を込めて。

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」