Road to Mt.FUJI 100

僕も各所で書かれた、旧UTMFの体験記に励まされてきたので、同じようにここまでの道程を書いていきたいと思います。

そもそものきっかけは、2022年にランニングサークルのメンバーがUTMF(Mt.FUJI 100の旧名称)に出場するという話を聞いたところからでした。当時、100kmマラソンの完走実績はあったものの、その距離をゆうに超える100マイルで、しかも夜通し山を走るようなレースがあるということに衝撃を受けました。100kmでさえあんなにつらいのに、そんなことをしたら、人の身体はどうなってしまうのか。

とはいえ、僕は「他人にできたことは、自分でもできるであろう」と、割とあらゆることに対して思っているところがあり、100マイル完走もいずれはできるのではないかとも思っていました。
その2022のUTMFの一週間前、長田豪史氏が高尾山でやっている練習会の上級クラス、それが僕の初トレイルでした。高尾山ということで、通常のランニングシューズ可となっており、トレイルシューズを持っていない僕は、これまで使っていたランニングシューズで参加。内容は高尾ベースから津久井湖方面に行き、戻りはレース形式というものでしたが、その中で他のランナーの下りの速さにとにかく驚かされました。平地はそこそこ走れたので、なんとかついていくことはできたものの、あの思い切りのよい下りは、これぞトレイルラン! と思える程、印象的でした。また、エリートランナーが急な登りも駆け上っていく姿にも驚嘆させられました。

翌週もまたランニングシューズで別のトレイル練習会に行き、高尾⇔陣馬山の往復。

何故急にトレイルの練習会に参加したのかというと、実は更にその翌週、ゴールデンウィークに行った、東海道を東京日本橋から京都三条まで十日で自走するという旅のためでした。旧道を走ると決めていて、箱根や鈴鹿といった峠道のいくつかはトレイル。
東海道は、途中で脛が筋肉痛になり、薬局で買った軟膏を塗ったものの、予定通り十日間で完走できました。

その後もボチボチ、出走予定もないトレイル大会の試走会等に参加。もちろんその頃には、安物ながらトレイルシューズを身に着けて。

その年の秋、サークルメンバーに富士五湖100kmに誘われ、翌年の4月参加することに。サブ10を目標にして達成。

ちなみに誘ってくれたサークルメンバーは、富士五湖100kmを走った翌週に、KAI(Mt.FUJI 100の後半コースを走るトレイルラン)を完走。凄い。

その2023のUTMFは、現地へ応援に。平日休みはとれなかったので、KAIのスタートから。会場は、なんともいえない高揚感。

そして、FUJIもKAIも、無事完走して戻ってくるサークルメンバー。表情に疲れこそ出てはいるものの、瞳には確かな達成感があったように感じられたし、輝いて見えました。

「出よう」
つい先週、サブ10した勢いもあったと思います。

でもこのとき、まだ1レースも、ショートの大会ですらトレイルの大会には出場してませんでした。

2024のFUJIに出場するには、2023年の秋までにITRAポイントを3大会で10pt取得しなければなりません。
しかし、1大会で4pt貰える大会は、中距離トレイルの実績が出場条件だったりすることもあり、実績の無い僕がエントリーできる大会は限られていました。

当時の僕は、単純に走行距離と獲得標高だけが、レース難度だと考えており、あまりよく考えずに、出場に条件のない山中温泉トレイルに申し込みました。
後になって調べると、通称「ヤバ中」と呼ばれ、昨年の完走率はわずか三割。サークルメンバーに申し込んだことを伝えたら「マゾなの?」と……。

初戦は初心者向けと書かれていた、5月のみなかみトレイルの40K。これは登りこそ多少くたびれたものの、楽しく走れて110人中16位。これで3pt。

なんだいけるじゃないかと出場した山中温泉、序盤に飛ばしすぎたうえに、富士写ヶ岳の下り(まだ全体の1/5程度)で、両足の爪をやってしまいます。当時は、足の先がシューズにつかないようにする靴紐の縛り方もろくに知らないような有様。さすがにリタイヤしてしまおうかと思ったものの、有給休暇を取得し、石川県まで飛行機で飛んでのリタイヤは厳しい。序盤飛ばしたこともあり、タイムには若干の余裕が。横歩きであれば下れたので、行けるところまでと諦めずに進むことにしました。とにかく平地でスピードを出してタイムを稼ぎ、それを下りに費やして、なんとか完走。夜にかかるトレイルもこれが初めて。ハードな地形では、300ルーメンのヘッドライトだけでは足りないなと思い知らされました。16時間19分で182人中134位。登りがキツく、結果的に集団走になり、ペースの近い人達と励まし合いながら進むということを体験できた大会でしたし、諦めず進めばゴールにたどり着けると体現できた大会でもありました。

残り3ptは、あまり遠征費を出したくないということで、8月下旬のつくば連山天空トレイルに設定。半分ロードだしいけるだろうと申し込んだものの、これも完走率50%を切るようなレースに。結局総合97人中39位。
ここまでで、ITRA Performance Indexは503になりました。

これで申し込む権利を得ることができたものの、実は9月からの4ヶ月は、大した練習が積めていません。
それは、当選するかどうかがわからないうちからトレーニングをするのが億劫だったから、というわけではなく、プライベートでの状況の変化からでした。

実は7月に婚約、そして9月に結婚しました。
自分が長距離走をしていることは話していたものの、妻はどうやら、結婚したらさすがにそこまでハードな大会には出なくなるだろうと思っていたらしく。出場するとなれば、これまで以上にトレーニング時間や、物的な準備が必要になるし、まさか新婚1年目でふたりの時間や費用と個人的な趣味なら、当然ふたりの時間 や費用 を取るだろうと。何より、山岳の超長距離レースということで、心配が大きかったようです。

なので、Mt.FUJI100のエントリーに関しては、「落選したら今後一切きっぱり諦める」という条件付きでした。当選したらしたで、「アスリートの妻になるなんて想定していないから、詐欺にあった気分だ」などと泣かれました。僕がアスリートなんておこがましいですが。ちなみに、うちの両親からも結婚早々何を考えているんだと、ボロクソに言われました。

しかしこうなることは、結婚する少し前からある程度の想定はできていたので、実は一計を案じていました。
まず妻にランニングを一緒にするように仕向けました。ランニングサークルにも加入させ、10kmやハーフの大会にも一緒に出ました。そういったなかで、妻もランナーのマインドが少しずつ理解できるようになり、「もし当選して走らなかったら、後悔として残る」と言ってくれるようになったのが、年明け、ハイテクハーフを一緒に走り、2時間を切るペースで楽しく走れたあたりからでした。

レース出場にかかる諸費用に関しては、家計簿を細かくつけて、月々どういったかたちで賄われているのかを明らかにして、経済的に全く余裕がないわけではないということを見せて納得してもらいました。

ということに費やしたのが、トレーニングのあまり積めていない4か月間。そして辿り着いた年明け、年末年始の食べる機会もあって、体重はベスト体重から9キロ増していました。

3/3には東京マラソンの出場も決まっているなか、改めて焦りが。この鈍りに鈍った身体は、数か月でなんとかせねばなりません。当然のように下がるVO2MAX値。ストレッチをサボって硬くなった身体。かといって、予算をかけてトレーナーをつけるわけにもいかず、外部の練習会参加費の数千円でも渋られる状況。

とはいえ、急に何かを頑張り過ぎても、怪我をしたり続かなかったり、ということは体験済なので、現実的なところでやっていくことに。

家の周囲は幸か不幸か坂なので、それを絡めたジョグ15kmと、職場から家までの帰宅ラン20kmを予定。朝夕走るのは、100kmサブ10したときにやったトレーニングでした。ただ、そのときの朝練は坂ではなく平地。今回はトレイルだということで坂にしたところ、これは正直、オーバートレーニングになってしまいました。平地を一定のペースで走るのと、そこに急坂が入ってくるのとでは、同じ距離でも負荷が異なるようで。結果、帰宅ランの途中で盛大にヘバってしまう始末。

朝走るために早朝に起床するということと、とても寒いなか、覚醒しきっていない状態で走るということの辛さもあり、1月は帰宅ラン20kmを中心に実施。

この時期、様々なUTMFの記事をWEBで読み漁っているときに見つけたのが、PARCFERMEのサイトにあった、佐々木希氏の記事。
https://parcferme.co.jp/article/6035/
ここでファットアダプテーションについて書かれており、これを実践することに。ただ、僕の場合は朝にトレーニングをすることがあるのと、朝にタンパク質を摂らないと覿面に筋肉量が落ちる体質なので、朝は豆腐半丁にMTCオイルと醤油をかけたもの、ヨーグルト100g、マツキヨのプロテインバー、牛乳、豆乳、緑茶というメニューを固定に。出勤時の昼食は、完全栄養食を謳うBASEブレッド2つに固定。帰宅時に走る際は、退勤30分前にカロリーメイト1袋摂取。夕食に関しては、なるべく早めにとることと、タンパク質は意識するものの、自由に食べていい。といったスタイルに。
帰宅の20kmも、1000kcal以上はゆうに消費しますし、週末はハードなトレーニングを入れたりするため、1か月で身体に悪そうなくらいの減量に成功。やめたらすぐにリバウンドしてしまうのだろうけど。

週末はさすがに両日をトレーニングにしてしまうと妻に申し訳ないので、片方は必ず空けるという約束をしていました。
当初考えていたのは、比較的交通費が安く済む渋沢駅から、丹沢ケルベロスをひたすらやるというもの。とはいえ、1月の体力では不安極まりないため、まずはハイテクハーフの翌週に、高尾から陣馬の往復28km。このコースであれば、バテてもエスケープしやすいということで、妻も同行。妻は青梅マラソンにエントリーしていたので、そのトレーニング。初トレイルで陣馬の往復はどうなんだという話もあると思いますが、妻も無事完走。僕はここで転んだ際に肩を打って、以後その痛みをずっと引きずることとなります。不幸中の幸い、走ることに関しては支障無し。ただ、転倒して手をついたりすると、激痛で30秒くらい固まるように。この症状はMt.FUJI100直前まで続きました。

翌週は雨のため、自宅近くで軽く坂練習。

その翌週は三浦半島縦断トレイルを実施。当初は京急長沢から三浦富士、武山、衣笠経由で大楠山、三国峠から鷹取山、天台山、大平山ときて西に向かい、六国見山から大船、というコースを想定していたものの、三国峠あたりの急な斜面に妻が怯んでしまったのと、その緊張でか膝に痛みが出始めたので、大事をとって二子山を東逗子方面に下ってエスケープ。妻はかなり悔しさを滲ませていて、リベンジしたいと言っています。

ここまでで、トレイルの勘は取り戻せたかなと感じた僕は、翌週末に初めての丹沢ケルベロスを慣行。こちらはさすがに妻を帯同するのは難しいのでソロでの実施。
これがソロ山デビュー。登山客が多いので、それほど危険はないですが。
バス代をケチって渋沢駅から大倉バス停までの4km往復も自走。最初は道を確認しながらということもあり、駅から駅までで10時間50分。
ちなみにトレーニングにあまり予算をつぎ込むと申し訳ないので、行動食はヤマザキの薄皮パンシリーズと、カロリーメイトがメイン。このときは、あんこ2パック、ナポリタン、ハンバーグ、ポテトサラダを持って行って、あんこ1パックは持ち帰り。この他にカロリーメイト2箱も食べている。想定消費カロリーからすると、やや少ないかもしれない。
このときの反省は、塩タブを持っていき忘れたこと、ワセリンを塗り忘れたこと、一気食いをして胃を疲弊させてしまったこと。トレイルで食事をして、初めて気持ち悪くなった。でも、これはただしく摂取計画を実行しないとこうなるということを体験できたという点で、とてもいい経験だったようにも思う。

翌週も丹沢ケルベロス。行動食は、雪の影響で流通の滞りがあったため、ヤマザキの薄皮あんぱん4つと、ゼリー飲料2つ、おにぎり2つ、今回は塩タブ5つとアミノ酸の粉も持って行き、食事は無理なく、約30分毎を徹底。全部あんぱんというのは、いかにあんこが好きだろうが味覚疲労を起こすというのが今回の学び。持参したお湯で、口内で御汁粉状にして食べたものの、1パック余りました。
週中に降雪があったせいで、標高1000mを超えたあたりからは残雪。ふかふかして走りやすかったり、段差を雪が埋めてくれるところなどもあるものの、急斜面となるとどうしても滑り速度が落ちる。
しかし、二度目で体調のトラブルもなく行けたということで、タイムは前回とほぼ変わらず。さすがに路面状況違いで2回走ったら、もうケルベロスはいいかなという気持ちになってしまいました。

その翌週は青梅マラソン(30km)。全力で走るわけではなく、並走して妻のサポート。妻は三浦半島トレイル以降、仕事の忙しさ等もあってあまり練習が積めず、結果3時間7分。とはいえ、苦しさを感じつつ諦めずに完走できたことで、またひとつランナーへの理解が進んだように思えました。

3/3に東京マラソンがあるため、2月の4週は近場で坂ダッシュする程度で、テーパリング。ここで練習量が落ちることに、若干不安を感じつつ迎えた3/3の東京マラソン、自己ベスト更新の3時間13分。山での走り込みの成果が感じられる結果となりました。

東京マラソン明けはダメージが残っていたので、平日はトレッドミルで軽くジョギングしながら回復に専念。

3/9は高尾マンモスを慣行するも、週中に降った雪と、まだフルマラソンのダメージが抜けず、まき道を使った小マンモスに。道中、奇遇にもサークルのメンバーと会って、城山まで一緒に走ることができました。その人は既にUTMF完走者なので、いろいろと情報を聞くことができたのも収穫。

翌週、やっと回復したかなというところで箱根ガイリーン。初めてで道を探り探りということもありましたが、序盤にトイレを催し、金時山まで我慢したせいで水分補給がままならず、結果12時間くらいかかってしまいました。普段、あまりトイレで苦労することがなかったので、トイレにいかないとどうなるのか、携帯トイレの重要性、というところを認識できたのは、よかったと思います。期せずして、終盤はナイトトレイルの練習にも。

その翌週、23日は多摩川流域ロング走。以前から、羽田⇔羽村間を、神奈川県側から上って東京都側で下るというのをやってみたいと思っていたので、この機会にトレーニングを兼ねて実施。補給できるコンビニの場所をマークした地図を作製したので、携行は最小限。前半の神奈川県側60kmは、なんと妻も同行。羽村の玉川上水起点までゆっくり走りました。その後東京都側の下りは一人で(妻は羽村から電車で帰宅)。元々の計画では、時間をかけてでも羽田の多摩川スカイブリッジまで行く予定だったのですが、二子玉川の(工事中のため)わかりにくい川沿いの道と、そこから丸子橋まで続く砂利道、ワセリンが切れて摩擦痛が出始めたせいでフォームが乱れ足が痛んできたことで、すっかり嫌気がさしてしまい、起点にした国道一号線までで終了。112.5kmのLSDとなりました。100kmまではなんでもなかったのに、擦れの痛みでフォームが崩れただけで大きく調子を崩すことがあるというのは、大きな学びになりました。また、後半補給が苦痛になったのは、一人になって食事の時間を短くしたいあまりに、咀嚼が少なかったからではないかと推測。カロリーメイトのような、水分を与えればすぐに崩れるものであればいいですが、そうでない固形物を摂取する際には、意識的に長く咀嚼をしなければならないと感じました。消化しきらないうちに給水し、胃液が薄まり消化が遅れ、その状態で次の食糧を摂取してしまうというのが、このときの胃の不調の原因かもしれません。

週明け、陣馬で痛めた肩がまだ痛いので整体に。若干良くなったものの痛みは引かず。
週末、新婚旅行で京都へ。妻もそこそこ走れるので、主な移動手段をランニングに。ソメイヨシノこそ咲き始めだったものの、枝垂桜は満開。花の京都を堪能しつつ、ゆっくりではありますが累計で60km以上走れました。

旅行の翌週、4月6日ということで、大会前のトレイルトレーニングとしてはこれが最後。これまでナイト練をしたことがなかったため、ZERO LIMITS NIGHTというナイト練に参加。場所が青梅で、妻の実家も近かったため、早朝に青梅高水トレイルのコースをゆっくり5時間くらいかけて走り、一旦妻の実家で入浴と睡眠、そこからナイト練へ。FUJIでナイトトレイルを走るタイミングは、天子山地と(上手くいけば)忍野以降になると、このときは考えており、忍野以降はある程度足を使った状態で夜に入るだろうということでの、午前の青梅高水のコース走。そのあと睡眠をとったのは、ここで消耗し過ぎないようにするため。ここでも高尾マンモスを走った際に会った方にまた会う。東京マラソンでも、たまたまスタート位置が近くて言葉を交わしてました。思えば、この方がUTMFに出るという話から、僕のチャレンジは始まったわけで、何かと御縁があります。
この練習会は、1.95kmのコースの周回で、8時間走るというもの。
結果、22周。距離にして43キロちょっと。

強度の高いトレーニングはこれが最後となり、テーパリングに。
テーパリング中は、胃のトレーニングを行いました。筑波大学の高山史徳研究員の「超長時間山岳耐久レースにおけるパフォーマンス向上戦略」というリポートで「Gut-Challenge」というものが紹介されており、それを実践。トレーニングの内容は、1時間のランニング中、0分、20分、40分のタイミングで、30gずつの糖質ジェルを摂取するというもの。これを、2週間で10回程実施することで、胃腸障害の予防やパフォーマンスの改善に効果があると、近年の研究で認められているらしい。
そしてここで、やっていることは矛盾するのだけれども、1時間のランニングは、マフェトン理論に基づき、15分かけて心拍を上昇させて30分心拍キープ、15分かけて戻すというスタイルに。何が矛盾しているかというと、マフェトン理論は脂質をエネルギーにするためのトレーニングなのに対して、そのなかで糖質補給を行っていること(笑)とはいえ、遅筋を鍛えることには意味があるし、ここまでである程度脂質燃焼はできているのでよしとする。実際、2週間あまりで、目に見えて数字は改善されました。当日も可能な限り、心拍数を意識したレースを展開していこうと思うものの、急登や、後ろに他の選手がいるシングルトラックでどれだけできるかが課題。それと、心拍数を確認しようと、暗い時間帯に何度も時計を見ると、バックライトでの電池消費があるので気を付けたいところ。

そして迎えた当日。仮眠プランというツアーに申し込んでいたので、北麓公園で受付→バスでホテル→仮眠→バスで富士こどもの国、というスケジュール。北麓公園の受付は、必携品チェックが今回実施されなかった関係であっさりと終わってしまい、ホテルへのバスが来る間、時間を持て余すことに。そして15時過ぎに富士宮のホテルにチェックイン。いざ仮眠、というところだったのですが、眠れない。実は前々日あたりに、軽く腰に違和感が出てまして、それが長時間のバス移動で悪化したのか、眠りに入りそうになると、足が痙攣して目が覚める、ということを繰り返してしまう始末。とはいえ、ある程度休まりはしたのでよしとして、準備をして会場へ。

ちなみに、この日の朝は、これまで通りのタンパク質中心の朝食+餅3つ。餅はカツサプでお馴染みのカツオペプチドを摂取したいということで、カツオの粉と醤油でいただきました。昼食はバスが横浜発だったのでシウマイ弁当、夕食は完全飯UFO、飲み物は少しでもエネルギーになるようにと、麹甘酒。

いよいよ会場に到着。夜間スタートのため、所々に明かりが灯って、音楽が鳴っており、フェス感がありました。荷物を預け、配布されたアミノバイタルアミノショットを受け取り、靴紐をレース仕様に結び直そうと屈んだ瞬間、ピキッと腰に電流が。睡眠時のこともあり、さすがに嫌な予感。とはいえ、このときはまだ走れない程でもなく、靴紐の調整は程々に(これが後々に響いていくのだけども)、第二WAVEの前の方に並びました。

関係各位の挨拶があり、第一WAVEのスタート。10分後、いよいよ僕のMt.FUJI100が始まります。

スタート→F1

基本は林道か舗装路で、終盤トレイル区間が出て来るといったコース。トレイル区間はスピードが落ちるので、30時間切りをするような人の概ねキロ6平均というのは、その実下りや平地ではキロ5分半だと思われます。

「序盤は飛ばすな」というのは、大会レポで口酸っぱく書かれていることでもあるので、僕も飛ばすことなく、キロ6くらいで走行。しかし傾斜がきついシングルトラックがあると、どうしても自然渋滞が発生してしまいます。自然渋滞でロスをしたくない人は、多少無理をしてもWaveの前の方で速めに走るしかないと思われます。
僕は多少渋滞にひっかかりはしたものの、突っ込み過ぎず、補給も取りながら、いいペースで行けたと思います。エイドでも、持参した補給食を取り出しやすいところに入れ替え、少し水分を補給した程度でスムーズに通過。ここまでが唯一計画通りに行けたエリアでした。

F1→F2

序盤の難所として知られる天子山地。ここで渋滞が発生するから、序盤は多少無理をしても前へ、という話を見ていたので、その通りに実行。ただ、僕は登りが強くありません。これまでのトレイルの大会でも、平地の速さでタイムを稼いでいます。丹沢ケルベロスを2度程慣行したところで、そうそう登りが強くなるわけでもなく。補給食を持ちすぎというのもネックに。その結果、自分のペースよりも速いペースの前後のランナーに合わせることとなり、ここで盛大にバテてしまいました。

山頂にさしかかったところでバテて休んだタイミング、富士山に隠れていた太陽が顔を出すというところを見られたのは感激ポイント。息があがるとまともに補給がとれないため、このタイミングで補給を取ることにします。トレイルレースあるあるですが、ひとつ山を登っても、偽ピークに騙されながら、何度もアップダウンすることになります。コース把握していれば、距離でどこが最終ピークなのかわかるので、偽ピークでメンタルを削られがちな人は、どの距離にピークがあるかというのを把握しておくといいと思います。

熊森山からの下り、仮設トイレがあったので借りたところに、水を補給していいとあります。フラスクの中身が残り少しだったため、ここで補給。感謝。

F2のエイド到着。よし焼きそばだ! と思ったのだけれども、思ってたのより小さい。夜店の1/3くらい。そりゃそうか。MANAバーも試供品みたいなもので小さい。贅沢は言っていられないので、フラスクに給水し、コーラをがぶ飲みして、椅子が空いていないから地べたで食べ、立ち上がろうとしたその瞬間、腰に鋭い電流が走る。このときは正直、「終わった……」と思いました。まだF2エイドで、腰を本格的にやってしまうとは。メディカルスタッフに相談したところ、足が痺れるようなものでなければ、腰まわりの筋肉の痛みなので、痛み止め等で続行は可能とのこと。ただ、今年から痛み止めは選手に渡さないことになったので、持参していればということでした。今回、僕が持参した薬品は、サロメチールのみ。これは、東京から京都まで走ったとき、脛が筋肉痛となって歩くのも厳しくなった際に、薬局で購入して塗りたくり無事完走できたというもの。これを使いとりあえず次まで行ってみようとレースを続行。

F2→F3

そんなすぐに効果が出る薬などないわけで。かなりゆっくりなスピードで枯れた河川の石がゴロゴロしているあたりから、牛の放牧地の横を通り竜ヶ岳へ。このタイミングで、歳の離れた会社の同僚2人組と思われるペアと歩行ペースが合ったので、ついていかせてもらいました。このペースが本当に合っていたようで、山頂までするすると登らせてもらいました。途中からなんと腰の痛みも減少! 彼らは山頂で休憩するようでしたが、元気になった僕はそのまま下りへ。ここは一般の登山の方々が多く、たくさんの方々とすれ違いましたが、皆邪魔そうな顔ひとつせずに道を譲ってくれました。
この山頂で、きちんと補給をとればよかったのですが、腰のことですっかりその意識が飛んでしまってました。座るのが怖いというか。このあたりから、次第に甘いものを摂取するのがキツくなり始めた、ということもあります。

とはいえ、ここはこれまでのエネルギー貯金を使って、気持ちよくF3エイドに到着することになります。F3直前、同じサークルの人に会い、声をかけつつほぼ同じタイミングでF3エイドへ。
F3は、富士五湖100kmでもエイドだったポイント。昨年ぶりでしたが、なつかしさを感じます。と、ここで大会の主催でもある、鏑木さんもF3へ。最後尾からのスタートだったはずですが、F3で追いつかれました。

F3にはメディカルスタッフに同じランニングサークルの方がおり(知らなかったのでびっくりしました)、この先は長いのでしっかりと食べていってくださいと声をかけてくれました。もう一人、同じサークルの人がメディカルスタッフでF8にいるという情報も。一人参加ではあるものの、知人の顔を見て言葉を交わすとほっとします。長話にならないように気を使ってくれてるのもありがたい。

さすがにエイドからここまで食べられていないので、ある程度食べてエイドを出ます。手持ちの補給や、バナナ、オレンジ等。

F3→F4

序盤は舗装路で、富士五湖100kmで通った道。富士五湖のときには走れたゆるい登りが、ガス欠(=ハンガーノック)で走れず。この前のゾーンでの補給が足りず、F3での補給がエネルギーに変換できていないためです。ひたすら早歩きでやり過ごします。これ以降、心拍数130代のいわゆるエアロビック筋を使用するあたりでないと進めない(=ほぼ歩き)ということになっていきます。

身体のエネルギーを使い切ってしまうと、身体が背筋を溶かして使いだす、という話がありますが、それを痛感するような背筋の痛みが出てしまい、サロメチールを塗ったくって誤魔化します。本当にサロメチールさまさまです。

トレイルにさしかかり、バテつつも登り切って、下りになったあたりで、やっとF3エイドで食べたものがエネルギーに。そこからF4までは、ロードを走ったり歩いたりと、断続走できる程度には回復し、F4エイドへ。ここで再び鏑木さんも到着。鏑木さんもこのタイミングでかなりバテた模様。

F4ではドロップバッグで後半戦の補給食だけを受け取る。周囲を見ると、ここでカップ麺を食べている人を多く見かけ、自分の補給戦略の失敗を改めて感じさせられました。

補給の際、ザックを下ろしていたら、エイドスタッフの女性から、「もしかして、わかばですか?」と声を掛けられます。実は、この日着て行ったのが、四ツ谷の有名たい焼き店「わかば」のランシャツでした。その話題でひとしきり盛り上がります。実はホテルで着替えたときに、ザックで隠れてしまうのでどうしたものか、前後ろ逆に着るべきか、などと思っていたのでした。気づいてもらえて嬉しい!

F4→F5

早々に出発したところで、先程のサークルの知人と再会。ここで30分眠ったとのこと。このように、僕はエイドの短さで時間を稼いでいる感があります。「エイドは短く」という記事をたくさん目にしたから、というのと、腰のことがあってあまり座りたくなかったり、アドレナリンが収まってしまったら立ち上がれないんじゃないかという不安があったためです。ここから先、それで保つのだろうかという不安はありました。

最初のロードをゆっくりと歩いて進み、ゆるい下りのトレイルへ。この区間はKAIの人たちは隣のロードを走る区間。ゆるい下りのトレイルということで、そこそこスピードを出して走るひとに、くっついて走ることができました。そこまではよかったのですが、ここでまた電池切れ。F4エイドで食べた分がエネルギーになるには、もう少し時間がかかりそうです。そうは言っても目の前に現れたのは小さめのトレイルなので、さくっと越えて再びロード。登りに入るあたりで、周囲はすっかり夜。いよいよ二晩目。ロードに出て信号を渡ったりしつつ、「本当にこっちかな?」みたいな道から、再びトレイルへ。

「夜はあちこちで嘔吐の音が聞こえる」という話を事前に聞いてはいたものの、実際に体験すると凄いもので。わざとやってるのでは? みたいな激しい嘔吐音。これ以降、多少無理でも食べる、ということがしたくなくなってしまいました。水分補給すらできなくなったら、完全に終わってしまうからです。ちょうど僕も、ジェルを2本入れたところで、胃が若干気持ち悪くなるだしているタイミングだったこともあります。

山を下りて少しロードを走ったらF5。ここでは味噌汁がありましたが、一人一杯。カロリーメイトでも食べながら飲めばよかったのですが、一人一杯を失念しており、先に飲み干してしまいました。

ここで妻から安否確認のLINE通話が入り、現状を報告。妻は僕の状況を応援ナビで見ていて気をもんで、頭痛がしてきたらしい。僕の方が余程元気そうでした。

F5→F6

忍野から山中湖きららまでの記憶は殆どありません。無心で進んだといった印象。ただ、山中湖きらら前のコンビニに寄っておくべきだったなというのはあります。少し遠回りになっても、慣れ親しんだコンビニという施設に入るというのは、意味があるんだと思います。ここも僕の失敗箇所ですね。

この先の二十曲峠までの道は、唯一昨年試走した区間で、どれくらい厳しいかもある程度はわかっていました。特に、試走時は豪雨で、経験の浅い僕がよくケガもせずに帰ってこれたなと思った程です。ですので、ここでは戦略的に仮眠を取ろうと、仮眠場所に行きました。しかし床が冷たいし、制限時間30分とあります。なるほど、だからサークルの知人は無制限で暖かいF4で仮眠をとったのかと、ここで納得しました。ちなみにその人は昨年KAIを走っています。仮眠は15分程とりましたが、印象としては、アラームをかけて目を瞑った次の瞬間、アラームが鳴っていたという感じ。ちなみに、目を瞑る前も後も、眠さは感じていません。

F6では、豚汁の中におにぎりを入れて雑炊にすることは予め決めていたので、それを慣行。次の二十曲にも味噌汁があるので、おにぎりをもう一つもらえたら、と思ったら一人ひとつまで。そういうのも含めてきちんと情報収集すべきでしたし、わかっていれば直前のコンビニでおにぎり購入ということもできたかと思います。

とはいえ、豚汁はおかわりできるのでおかわりを。あとはバナナくらいしか摂取せず。「ここからが本当のFUJI」と言われる区間へ。

F6→F7

ここが大変なことはわかりきっていたので、全歩きの気持ちで進みます。仮眠で体温が落ちたこともあり、ここで初めて上着を着ましたが、登りにさしかかるとすぐに暑くなりました。しかし、弱い雨も降り始めたので、脱がずにそのまま進むことに。

試走の元気なときには、あれだけ気持ちよく下っていた箇所も、今の状況では走れません。KAIの選手が軽快に下ったり登ったりしいているのを横目に、止まって体温や心拍を下げないように、淡々と進み続けます。たまに、登りで心拍と体温が上がる→横になって眠る、みたいな人を見掛けましたが、あれは却ってダメージが入る気がします。いかな保温されるウエアといっても、アドレナリンが一旦止まってしまうのは厳しそうです。

試走で走ったときは速く下れたこともあって、道がひたすら長く感じますし、山伏峠の起伏の厳しさが堪えます。

ストレスは、何かに期待し過ぎることでも生じると言われています。それは多分、山道でもそうで、「もうすぐ山頂だ!」などと思って、それが外れるとストレスとなります。なので、距離でだいたいこのあたり、というのを把握するようにして、なるべく「もうすぐ」とならないようにしていたつもりでしたが、石割山からの下りは、もう少し短いものだと思っていました。あの箇所は、さすがにエイド手前だということもあり、KAIの選手がバンバンにかっ飛ばして下ってくるので、ゆっくり下っていると追突されかねず危険です。靴紐の処理が上手くいかないまま、足の爪が厳しくなり、エネルギーも枯渇気味ではありましたが、ここは速く下らざるを得ませんでした。下りは位置エネルギーで加速はできるので、足を滑らさない体力と集中力、足の痛みを我慢する忍耐力で乗り切ります。

なんとか無事に辿り着いたF7。着いたのは4時を少しまわったところ。さすがに今の状態で未明の杓子山に挑むのは危険なので、補給をとりつつ睡眠をとることにしました。

ここの味噌汁はおかわり可でしたが、汁物の運用が独特。いわゆる濃縮液を作ってそれをお湯で希釈させる、というものでした。味噌汁、コーヒー、レモンティーでそれをやっていました。すぐ提供できるという点で良いアイディアではあるものの、僕のカップには大量のわかめが(笑)海藻は消化によくないので、贅沢を言うなら、具はもう少し考えてもらえるとありがたかったですね。

ここでどうしても復活したかったので、使ったのはモルテンの1つ1000円くらいするジェル。様々なレポで、これで復活すると書いてあったので、お守り代わりに持ってきたもの。今使わないでいつ使うんだ! という心境でした。それと、トレイルバター。これは単体ではきついので、コーヒーや紅茶を飲みながら摂取。

ここは仮眠所ではないので、身体を横たえることが禁止されていましたが、ストーブ近くの椅子に座って目を閉じたら、あっという間に40分くらい経過し、時刻は5時過ぎ。外は明るくなっていました。

F7→F8

さて、いよいよ大詰め、杓子山。その傾斜を見て怯んで戻った人がいるというレポがあるような箇所。トレイルランというか、クライミングです。幸い、僕はほんの少しボルダリングの経験があります。なので、このクライミングの箇所はいいペースで進むことができました。なにげに一番楽しかったポイントでもあります。辛いとか、大変、という印象はありません。ちなみに、ブリーフィングでトレイルのロープはそれに体重を預けて進むものではなく、あくまでも保険的なものと言ってたのを聞いていたこともあり、今回のトレイルでは一度もロープを頼らずに進んでいます。

クライミング後の偽ピークをいくつか超えて、辿り着いたのは杓子山の鐘! 富士山100マイルレースといえばこれ! みたいな、象徴的な鐘を鳴らします。響き渡る鐘の音に、「あと少しで100マイラーだ!」という気持ちが沸いてきました。(スタッフに写真も撮ってもらいました)

そこからは激下り。聞くところによると、このあとここで渋滞が発生して関門が伸びたようですが、僕が通過する時点でも既に弱い雨がしばらく降って多少ぬかるんでおり、このまま降り続ければ、スリッピーになるだろうな、という感触は既にありました。ここも他の選手に追突されないよう、足の痛みを押して下ります。もう既にタイムとしては36時間も厳しいとわかっていたので、とにかく安全に、怪我無くゴールする、という方向で進んでいきます。「絶対に怪我しないで」という妻の言葉が脳裏にあった、ということももちろんあります。

激下りが終わり、少し緩やかになった道を下っていると、これまで充電しながら使っていたGARMINが突然△マークで停止。記録を残したいので、あれこれ試してみるもダメで、結局時間を無駄にロスしただけとなってしまいました。とはいえ、もうすぐF8エイドで、そこを越えればあと一山。難所もなく、完走はほぼ確実なので、平常心でいきます。

最後のエイドでは、メディカルチームの一人として、ランニングサークルの知人が迎えてくれました。他のサークルメンバーの状況なども聞きつつ、写真も撮ってくれます。

富士吉田といえばうどん! 胃を壊してる方々は、うどんの味もわからない状態かもしれませんが、僕は無茶苦茶美味しく感じました(ということは、所持している補給がやっぱり甘いものに偏り過ぎていたということですね)。もう一杯といきたいところですが、ここも一人一杯まで。トレイルバターの残りを流し込んで、最後の山、霜山に挑みます。

F8→FINISH

霜山までの緩やかな下りのロードはほぼ歩き。ここも歩いてしまうのか、という気持ちと、もう完走は見えているという気持ちと半々。すれ違う町の人々が暖かく声をかけてくれました。

トレイルに差し掛かり、皆が歩き出すタイミングになると、やっと同じようなペースになる人が現れます。完走を確信した高揚感でか、声をかけてくれて、今日に至る練習や、これまでのレースのこと等、他のランナーと話ながら登っていきます。傾斜がきつくなったところで僕はペースダウン。先に行ってもらいました。

ブリーフィングでは、ふかふかして登りにくいという話でしたが、それはおそらく登りも走るスピードランナーの話で、特段大変なこともなく、淡々と進んでいきます。後半の私有地の道は、なかなかに急な下りとなっていて、つま先が痛んでいる僕には厳しい。

下り始めてからも、天上山があったり、その先にまた少し登りがあったりしたものの、概ね下り。これも元気で足も無事なら気持ちよく走れただろうなというような傾斜でした。

最後の山が終わり、富士急ハイランドの敷地へ。このあたりで、一緒にゴールしようと、応援に来ているはずの妻と母に連絡。後で聞いた話によると、応援ナビが夕方ゴールになっていたのでのんびりしていたら、思いのほか杓子山を早く越えてきて、慌てて来たとのことでした。

富士急ハイランドの敷地から林道に入り緩やかな登りを歩いていきます。さすがにここまでで疲労しているのか、前を歩くランナーが、コースを間違えそうになっていたので、声をかけたりもしつつ。

残り3km、2km、1km...北麓公園の敷地に入ると、妻と母が。北麓公園のゴール前では、僕を真ん中に三人並んで走り、手を繋いでゴール。37時間半の旅がようやく終わります。

ゴールには、前半何度か顔を合わせたサークルの知人と、去年KAIを走った知人も迎えてくれました。

正直「やった! これで僕も100マイラーだ!」という感慨はなく、「約1年をかけたチャレンジが終わったな」という感覚でした。妻も、おめでとうというよりは、無事帰ってきてほっとした、という感じでした。

ともあれ、思い立ってから一年で、100マイラーという目標を無事に達成することができました。

数日経って

走っているとき、薬を塗れば痛みが引いた腰が、レースが終わって温泉に浸かった後、薬を塗っても痛みが引かない状態で、一週間以上が経ちました。

足はつま先と足のサイドの豆程度で、他にダメージはほぼなく、筋肉痛もありませんでした。つまり、そこをきちんとカバーできていれば、もう少しタイムは縮まったのだと思います。

反省点はいろいろとあるものの、止まらずに進めたことや、トラブルに対処できたことに関して、一定の満足はあります。

「人生観が変わる」までのことはないけれど、「これからも何とかやり遂げられるだろう」といった自信にはなりました。その自信をもって、次の何かをやり遂げられたときに初めて、「あれがターニングポイントだったな」と実感できるものなのかもしれません。

このチャレンジを用意してくれた方々、大会をサポートしてくれた皆さん、一緒にレースを走っていた皆さん、大会の存在を教えてくれた人、そして何より僕のことを心配してくれて、身体づくりのために食生活を気にしてくれた妻に、心からの感謝を。

補足というか蛇足

補給食に関して。

まず、飲料を摂取しながらとる補給と、そうでないものとを分けて考えた方がいいと感じました。様々なところで勧められている高カロリー系の補給食の多くが、「味が濃すぎる」ないし「口の中の水分が持っていかれる」等で、疲労した状態では単体で摂取することが望ましくないものが、実際には多いと思います。フラスクに薄めて入れ込むという戦略も見掛けましたが、そういった工夫が必要ということかと思います。

補給を受け付けなくなる原因の多くは、味が濃いものをそのまま摂取したり、繰り返し似たようなものを摂取することでの味覚疲労によるところが、多いように感じます。ギャル曽根さんが大食いをするときに、味変や、何を間に挟むのかを意識して食べてますが、あのノウハウに近いと思います。
ですので、白湯が潤沢に供給されるエイド地点で、口の中の水分が奪われるものや、味の濃いものを薄めて摂取するということを重点的に行うのは、有効だと感じました。ただ、多くのものを胃に入れて走ることになれば、その分胃に負担が生じます。なので、エイド地点での摂取量をきちんと設定することが必要ですし、エイド地点の他に、コース上で持参したフラスクやポットで何か飲みながら補給をする地点とその補給量を、予め決めておくのが、ひとつ戦略として有効なのではと思いました。何故かというと、「時間で摂取するタイミングを決める」というやり方だと、 天子山地の登りで息が上がった状態や、 杓子山の下りのような、細くて急な下りで摂取することは難しいですし、歩きながら摂取するというのも、多少テクニカルな路面になると転ぶ危険性が出てきます。ある程度のまとまった時間、手元に集中できる状況は、実際のところ限られていますし(ロードとか)、山中ですとそもそも足を止められるスペースが限られています。レース中は練習時と違い、前後に他の選手がいて、自分のタイミングで歩いたり、足を止めたりすることが難しい場面が多々あるということもあります。

トップ選手たちは、息があがらない状態で走れるからこそ、様々な場面で補給が可能なのであろう。その結果発汗が抑えられて、口内の唾液が一定量あるからこそ、味の濃いものや粘性の高いものを摂取できるのであって、その域に達していない者がその真似をすることは難しい。中間補給地点を定めるという意味で、コースの試走は、満足のいく走りをするためには必須と感じた。

ちなみに、飲料を摂取しながらでなくてもいい補給は、ゼリー類、またはフルーツ類。ただし、バナナのカリウムに関しは注意が必要。高カリウム血症になる程食べるのはNG。多少バッグは重くなっても、ゼリー系を使用するのは、有効だと感じた。これは、コンビニでのゼリー補給も計画に含めていいレベルだと思う。

今回、食べられないもの(食べられなくなったもの)を大量にザックに詰めてしまった感がある。なので、例えば僕がもし次を走るのであれば、エイドで配られるパンの味変をするようなもの(ツナマヨのチューブとか)や、スープの粉類を多く持っていくと思う。エイドにあるものである程度やりくりすることで、ザックの重量はかなり抑えられることが予想される。

補給に関しては様々なところで様々な情報が出ているかと思うが、自分がクタクタになった状態で、本当にそんな味が濃い甘いものを食べ続けることができるのか? は、よく考えた方がいい。僕は甘いものが大好きだし、量もたくさん食べられる方だし、胃も鍛えて当日に臨んだものの、それでも食べる気になれなかった。動けはしたため、動くために無理に食べるということはしなかったので、もしかしたら吐き気がしても、詰め込めたのかもしれないが。

睡眠に関して。睡眠の質という点で、今回F4で一旦睡眠をとるというのが正解だっただろうなと感じた。他の地点でも、仮眠場所にストーブ等あるものの、地面から伝わる冷気の問題がある。F4であれば、完全な屋内で睡眠がとれるし、ドロップバッグがある箇所のため、そこで身体を休めるためのグッズ(身体の下に敷くシートや枕、耳栓、アイマスク等)も使用できる。

僕は道中眠気を全く感じなかったものの、例えば痛みを押してスピードを上げるといった、気力を使うようなことがしにくくなるというのはあった。36時間以内であれば、眠らない方が速いというデータもあるようだが、そのときのコンディションにもよると思われる。

靴の履き方問題(後にして思えば、腰が回復してから、どこかで時間をかけてきちんとやっておけばよかったです)で、足先を痛めたりマメを作り、下りを飛ばせなかったことや、ほぼハンガーノック状態でエアロビックペースでしか進めなかったこともあり、走り終えた際の足の筋肉痛はほぼなく、やや不完全燃焼感はありました。それでも、一時は歩くことさえ痛みが出るような状態から完走にこぎつけたのは、よかった点だと思ってます。

方々で、100マイルレースはトラブル対処の経験値がモノを言うという言葉を見ましたが、まさにその通りだと思います。例えば僕がもし、東京→京都を走って、その際に筋肉疲労で歩くのも辛くなった、という体験をしていなかったら、腰痛に塗った軟膏は持っていかなったでしょう。逆に、もっと補給トラブルを経験していたら、補給の仕方を変えていたのかもしれません。

超長距離トレイルレースは、ただ走力さえ高めればいいわけではないという、その複雑性が、ひとつの魅力だと思います。トラブルは大変でしたが、それを通じて複雑性を体感できたということでもあるかと思います。

正直、現時点でまたやりたいとは思えないのと、ここからは家族のことを優先して生活しようという思いもあり、「また次」というわけでもないのですが、こうして改めて文字に起こしてみると、人生のチャレンジ全般に通じる何かを少し学べた気もします。

ここまで読んでいただけた方、長々とお付き合いいただきありがとうございました。あなたのチャレンジに実り多きことを願っております。

いつか、どこかのスタートラインでお会いしましょう。

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