『一人称』と心の距離
ども、夏目です。
コピーライター、心理カウンセラーをしています。
突然ですが、
普段、『一人称』って何を使っていますか?
私、俺、ボク、自分・・・
色々あるけど、
「あるがままの自分」ならどの一人称を使うのか?
ということを考えてみたいなと。
文章を書くとき、
誰かと話すとき、
同じ1日の中でも
いろいろな一人称を使い分けていますよね。
どうもこれは、
「相手との心理的距離」を表している。
私たちの心って、
6歳くらいまでは顕在意識⇄潜在意識
っていう自由に往き来ができているらしいんだけど。
それが
12〜13歳くらいになると
潜在意識を「膜」で覆ってしまうんだって。
自分を守るために。
生きていくために。
きっとこのあたりから、
相手と自分の距離を認識して、
一人称を巧みに使い分けるようになるんじゃないかな。
公の場に立つときは「私」
親しい人と話すときは「俺」
みたいに。
もちろん2人称だって使い分けている。
「あなた」とか「君」とかね。
どの一人称も自分自身だから、
どっちがいいとかではないけど、
(この人には、あるがままの自分を出しても安心だ)
そんな風に感じられる距離の相手が1人でもいたら、
一番自分らしい一人称で付き合える人と出会えたら、
それはとても幸せなことだと思う。
そして
誰かにとって、そんな人でありたいな。
そんな人間関係を広げていきたいな。
そのために、
自分もできるだけ
「ありのままの自分」でいたい
と、ちょっと最近リアルでもSNSでも
自分の安全領域から出ていこう
とか思っているのです。
よく考えたら、
小さい頃は自分のこと
「シオリちゃんね」
とかいうてたよね。
流石にTPOもあるし、
潜在意識を覆う「膜」は
めちゃくちゃ大事!
なんだけど、
「膜」を柔らかーくして、
いつでも顕在意識と潜在意識を行ったり来たり
そんな風にできたら
生きやすくなるんじゃないかな。
そのために、
カウンセリングやセラピー、音楽や物語があるのだと思う。