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自問自答④ ハートについて考えたら、コンセプトが深まった

私が今見ている景色。
広い荒野に、ガールズさんの掘った穴が無数に空いている。
悩みがある人、心にしこりがある人の掘った穴は、しっかりと深く、大きく、黒々としている。
私はてくてくと歩いてきて穴を見つけ、「すごい人がいるものだな」と思う。
振り返って見る自分の足跡は、浅い。雨でも降ればすぐ消えそうだ。しょぼい。

ふと見たら、なんか面白い形の穴があった。

いつも面白いnoteを書く人の穴だ。ぐねぐねしていて、色々考えながら掘ったんだろうなと分かって、なんだか親しみを感じる。
私も、とスコップを持ってみる。
地面は思ったより固い。でも、結構掘れたかな。まだ浅いか。いや、でもこれも、他では見たことない形かも。

という感じで書き上げたnoteです。
荒野を歩いている誰かが、私の穴を見て足を止めてくれたら嬉しい。

6月4日、mmmさんでリングを買いました。
これと決めるまでにたくさん試着させていただき、その中には赤い石もありました。「Queen」という名前がついていて、私のコンセプトは「レストランオーナー」だし、一国一城の主という感じは近いかも。
また、私は子どもの頃から赤が好きで、きょうだいでの割り当て色も赤(弟が青、妹が黄色)。
だから試着するまでは「ハート形かあ…自分では選ばないけど、赤は好きだな。私の『ヤなやつ』現象はコレかも」と予想していたのですが。
「赤は可愛い。可愛いけど…ハートがイヤだ!!」の気持ちが強く出て、自分でもびっくり。

で、購入したのがこちら。

アマゾナイト(濃)とトルマリン(淡)

ちなみにこの組み合わせは、最初に店員さんが提案してくれたもの。不思議なくらい手が白く見えて、透明感が生まれます。
自分で似合いそうと思った色を付けても、透明感爆上がり現象は起きず、店員さんの慧眼に感動。

素敵なリングは買えたけど、はて、私はハートの何がそんなにイヤなんだろう?
と自問自答することしばらく。

書く言葉には、ハートはあんまり付けない。話すときは、「可愛い」とか「美味しい」とかよく言うし、ハートがついてると思われるかも。
でも、そう思われることは全然気にならない。「カードキャプターさくら」を見て育ったので、健全にハートを振りまく人のこともむしろ好き。

ハートやピンクが好きではない、という感覚はある。物心ついた頃から、シックとかシンプル、ナチュラルが好き。どうぶつの森でも、子どもらしからぬ落ち着いた部屋を作り上げていた。

でも、私が子どもの頃はまだ、女児用といえばピンクにハート、お花ばかり。好きではない上に、私には似合わなかった。髪型が男の子みたいなショートカットだったから。
3人きょうだいを育てる母の方針は「子どもの髪型は楽なのが一番」。しかも髪を切るのは床屋をしている父なので、どうしても男っぽい仕上がりになる。
だから長い髪をきれいに結って、ピンクやハートを好んで身につけるような女の子に対して、戦う前から負けてるような悔しさがあった。

そして決定的にハートを受け入れなくなった、見るとイラっとするようになったのは、つい最近。
きっかけは生理用ナプキンの型押しだった。
「ハート形、好きじゃないなあ」とふと思った。
最近はカッコいいパッケージのナプキンもある。そうだ、私はカッコよくなりたいんだからあれを買おう。
そう思ってドラッグストアへ行ったのだけど、だいぶ割高…! しばらく悩んで、そこそこの価格帯で、ハートの型押しじゃない物を買うことに。

パッケージも寒色系で、「赤、ピンク、ハートにはしないぞ」という意思を感じる。好き。

でも、世の中には「生理があるけど、性自認は女ではない」という人もいるだろうに、女っぽくないナプキンを買うと出費が増えるなんて、なんか腹立たしい。
それに貧しくて生理用品を買えない人もいる中で、肌トラブルのない私がナプキンのランクを上げるのも抵抗感あるなあ。
そう考えたことは、このnoteを書くまで忘れていましたが、ハートを見るたびに感情は蘇っていたのでしょう。自覚はなくとも。

(ちなみに、よく見たらロリエの安値ラインもハートなし緑系でした)

でもやっぱりしあわせ素肌の方がベタっとしなくて快適ですね。

あと、ポッドキャスト「OVER THE SUN 」でジェーン・スーさんがナプキンのハートの型押しに「あんなとこわざわざハートにしてさ!」って言ってて、同じこと考えてる人がいた!って感動しました。
第26回「あなたの“閉経物語”を教えていただけませんか?」の終盤。





さて、ナプキンに似た消耗品として、母乳パッドという物があります。
出すぎる母乳を吸収するためブラの中に仕込む、使い捨てのパッドで、ナプキンとよく似た個包装になっています。そこに「ママいつもおつかれさま」と書いてあった時にも私はイラッとしました。

初めて母乳パッドを使ったのは、出産から4〜5ヶ月経った頃。育児にも多少慣れ、夫も義母も協力的。初めての育児に振り回されてはいたけど、なんとかやって行けそうだと思い始めた頃でした。
そこで突然目に入った「おつかれさま」。「母親はいつも疲れてるのが当然?」という腹立たしさと、同時に、恵まれた環境にいる後ろめたさを覚えました。

自分が子どもの頃は、色んな面で世間に負けたような気がしていました。髪型についてもそうだし、服も安さ重視で、家だってめちゃくちゃ狭かった。「劇的ビフォーアフター」で「驚異の狭さ! 13坪で家族4人が暮らす家」とナレーションが流れたとき、家族みんなで「うち、11坪で店やりながら5人家族だよ!?」と爆笑したものです。

それが、ふと気づいたらちゃんとした仕事、協力的なパートナーと家族、子どもを得ていて。
冒頭のリングを購入した日だって、私は一人で友人の結婚式に参加して、実家に泊まった翌日、伊勢丹に寄って帰るという旅程。3歳の子どもは夫と義父母が見ていてくれて、前もって食事やらを準備する必要もありません。
そんな恵まれた母親は、たぶんごく少数でしょう。実際、結婚式で一緒になった女友達2人は、まだ子どもを家族に預けて外泊したことがないと言っていました。

勉強・仕事・人付き合いと、バランスよくちゃんとやってきた自負はあります。
でも、ものすごい努力をしたわけではなく、そこそこ頑張った程度。
困難に遭わなかったのは、幸運に恵まれただけ。
あの人もあの人も、色んな出来事を乗り越えてきてるのに…なんか私、お気楽で申し訳ないな。

ここまで考えて、自問自答ファッション教室で同じ話をしたことに気付きました。
「私はサイズにも困らないし、安い服でも『いいじゃん』って思えるから、あまり悩みがなくて…」と苦笑いしたとき。あきやさんは「いいんですよ!」と言いながら、少し慌てていました。
「悩みがないのに来ちゃいけなかったかな…」と、私が不安になったのが伝わったのだと思います。

あきやさんは言葉を尽くして、私の不安を拭ってくれました。
正確な表現は覚えていないけど「悩みがないのも全然OKで、だからこそ、これから行ける場所がたくさんある」というようなことを言ってもらいました。
思い出したら少し涙が出ました。
お気楽に聞こえる自分の悩みにも、ちゃんと向き合ってもらえたことが嬉しくて。
それから、他の人じゃなく私が目指すべき場所があるんだと、希望が持てて。

そして、コンセプト「楽しくてアイデア豊かで存在感のあるレストランオーナー」に、悩み抜いてきた経験は必須じゃないや! とも思いました。
人生経験豊富で懐の広いオーナーはそりゃ素敵だけど、苦労せず育った、裏表のないニコニコ笑顔のオーナーも素敵じゃない。
ただ、他の人のことをよく見て、無神経なことは言わないように、決めつけないように、そして何かを指摘されたら素直に取り入れるように。

今の子ども番組を見ていると、多様性を認めよう、配慮をしようと繰り返し伝えていて、心が温かくなると同時に痛みます。
小学校には色んな子がいて、私は変わった言動をする子を遠巻きにしたり、「変だよね」と友達とひそひそ話したことがあります。中学生の頃は、もっとあからさまな仲間外れに加担したこともあります。
(リーダーの意向で標的が移り変わるタイプの仲間外れで、自分がされた時期もあります。あれ、何だったんだろう。学術的に名前ついてる現象なのかな)

今から本人に謝るのは、地元を離れているし、同窓会も呼ばれないので難しいでしょう。
その代わり、今から近づいて来てくれる人のことはなるべく受け入れる…受け入れるためにアイデアを捻れるようになりたい。このnoteのラーメン屋さんみたいに。

そしてお客さんが望むなら、美味しい物を出してもてなして、ちょっと幸せにしてあげたい。
ただし、インテリアやメニューは自分の好きなように。それを居心地良いと感じる人だけが来れば良いので、人に合わせてコロコロ変えたりはしない。迷惑行為は毅然とはねつける。

うん、やっぱり私のコンセプトは「レストランオーナー」です。

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