【日曜小劇場】プライドをかなぐり捨てた慈しみの愛VS己の独占欲を昇華させる執念の愛
NHKの火曜ドラマ「大奥」が面白い!原作はよしながふみのコミック。設定は若い男のみ感染する致死率80%の奇病が蔓延し、男の数が激減した江戸時代。女性が大黒柱となって働き社会を動かすという、男女の役わりが逆転したパラレルワールド。その頂点に立つのは女将軍だ。
8代将軍・徳川吉宗を演じる冨永愛の“男らしい風格”が話題となり、ジェンダーや権力闘争など、様々な問題が浮き彫りにされるが、5代将軍綱吉編では「性」と「生」が交錯する。そのむせるような濃厚な世界に酔いしれた。
NHKで男同士のエロスが映像される?
将軍という権力を持ちながら、望まれるのは世継ぎを産むこと。どこかの国のプリンセスを思い出した人もいるかもしれない。世継ぎを産むことだけが使命になるという重圧は想像するだけでも辛いものだ。
だって男は種をばらまいて複数の女を懐妊させることも可能だけど、でも女将軍は自ら懐妊しないと世継ぎができない。将軍とは名ばかりという宿命にむしゃくしゃしていた仲里依紗演じる綱吉が、大奥の夜の褥で、男同士で愛し合っている二人に「目の前でむつみ合え」と命じる。厚化粧と唇のグロスがてかてかと光ったディープ仲里依紗さの鬼気迫る演技に震え上がる。
そしてNHKで本当に男性同士のエロスが映像化させるの?
とびっくりしていたら
将軍の種馬になるのを拒否して大奥総取締という権力の座に君臨した野心家の右衛門佐(山本耕史)が止めに入る。
「人前でむつみ合うのは辱めでしょう」
だが将軍は万が一のため、毎晩のように次の間で警備にあたる者に聞かれているのだ。もちろん右衛門佐も綱吉の喘ぎ声を聞いているはずだ。
すると綱吉は右衛門佐に冷たい視線をギラリと投げかける。
「そうか、これは辱めであったか。どうであった、私の夜の営みは」
怒り、絶望し、そして慟哭した綱吉は、遂に絶叫する。
「将軍とは、この国で一番卑しい女のことじゃ!」
思わず涙が溢れました。仲里依紗の演技が素晴らしい。
子供を失った悲しみに耐え、父親から世継ぎをせっつかれても叶えてあげられない焦りと苦しみに振り回される。世継ぎのいない将軍は形だけの権力者。悲しみや苦しみの連鎖はどこで断ち切れるのだろう。
生殖から解放されたセックスは慈しみの象徴
その後、次第に精神のバランスを失っていく綱吉。するとこれまで自分の才覚だけで出世を目論んでいた右衛門佐に変化が訪れる。
綱吉が「世継ぎも作れない自分はなぜ生きているのか」と嘆くと、右衛門佐が遂にプライドをかなぐり捨てて、綱吉の心に寄り添う。
聡明で学ぶことの喜びを知っている綱吉をずっと好きだった右衛門佐。やっと恋心を打ち明ける。驚く綱吉。決して若くない二人は抱き合い、そして結ばれる。
これまで苦しめられてきた「生殖のためのセックス」から解放された瞬間だった。そこには互いに惹かれ合い、愛し合う者たちが自然に抱き合って一つになりたいという愛の証しがあった。
終わった後の余韻を楽しみながら、二人は穏やかな気持ちで優しく抱き合い、そしてまどろむ。
愛は人を強くさせる。綱吉は父の反対を押し切って、姪の綱豊を6代目将軍にすると申す。父親の「親不孝」という罵声を振り切って、愛する右衛門佐のもとへと走っていくのだが、なんと右衛門佐はあっけなく息を引き取っていた。まるで綱吉を愛することと、愛によって彼女を再生させることが最後の役わりだとでもいうように。
独占欲を昇華させた執念の愛のゆくえ
波乱万丈なドラマは、ここで終わらない。
夜、寝床で右衛門佐の名前を呼び続けていた綱吉のもとに、侍女の吉保(倉科カナ)が訪れる。
綱吉は「右衛門佐だけが欲得のない慈しみを教えてくれた」と涙を浮かべる。すると「そうですか」と涙を流しながら応えた吉保が、突然濡れた布を綱吉の顔に被せる。綱吉は苦しみに悶えるが、吉保は綱吉にガバッと抱きつく。
そして「一生お仕えする」と誓った時の太ももの傷を示し、さらに綱吉を羽交い絞めにし、「私のどこに欲得がございましたでしょうか」とさらに力を加える。
ああ、吉保は綱吉を自らの手で殺すのだろうなあ、と私は思った。
自分で自分の純粋な愛を殺すことになるのに。
小さい頃から綱吉を愛していた吉保は、精神的に深くつながって、苦楽を共にしてきたと信じていた。それが自分の人生の全てだ、と。
ところが右衛門佐に綱吉の恋心も、愛おしさも、全てを持っていかれてしまった。
右衛門佐の急死は、ひょっとしたら吉保の手にかかってしまったのではないか。そんな疑惑すら浮かんでしまう。
吉保の業はすさまじい。愛する人が他の人に心を奪われ、そしてその人の死を悼む姿に耐え切れなかったのではないか。
強すぎる業は、純粋さを凌駕してしまう。
だがいざ自らの手で愛する人を殺してしまったら、絶望と後悔の念が湧き出てしまうものなのだろう。未練と共に。
愛する人は自分のものではなかったとわかったときの怒りや悲しみを消し去ろうとしたのに、愛する人がこの世からいなくなってしまうと、とめどもなく寂しさがあふれ出てくる。愛する人のために自分は何もしてあげられなかった。後悔が押し寄せたときに、欲得なしにやれたことはなにかを探した吉保。
それが吉保の最後の言葉となって表れた。
「(あの世で)右衛門佐とお会いになりましたか?」。
そういって泣き崩れる吉保。
愛を失ったものだけがわかる嘆きのラストは、せめて愛する人の幸せに寄り添いたいという絶望の淵に咲く小さな花のようにも見える。