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歯医者に行った話

歯医者に行く度に「宇宙人に拐われたらこんな感じだろうな」と思う。

診察台に座るとゆっくりと姿勢を仰向けに近い状態にされ、目元を柔らかいタオルで覆われる。何が行われるかわからないー・・・いや、そりゃ歯の定期検診なわけだが、優しく視界を奪われ薄ら明かりの中にいるだけの私には、無影灯が近付いたか遠ざかったかくらいしか理解できない。誰かがパタパタと頭上を走り、カタカタ、プシュー、と何やら機械を触ったり、点けたり消したりする音が聞こえるだけの世界で、まな板の上の鯛の状態になり、ただ静かに「痛くありませんように」とハンカチを握った手に力を込めるだけ。

「人間番号1107、健康状態良好、脳のサイズ、表面積共ニ標準。血圧標準ヨリ高メダガ恐ラク緊張状態デアルコトガ原因デアルト思ワレル。ヨッテタダ今ヨリ、チップ挿入ヲ開始スル」とか言われて、カタカタ、プシューとこめかみ辺りから長い針を刺し、見知らぬ金属を取り付けられるような状態であってもおかしくないんだろうな、なんて思うのだ。
勿論そんな事はないのだが。

「気になることはありますか?」と尋ねられた鯛こと私は、知覚過敏があるから歯石を取るのが痛い事と口内炎が出来ているのでなるべく触る時は優しく触って欲しい事を伝える。どんなに面倒臭いと思われても、「痛かったら手を挙げてくださいね」が出来ない人間なので前もってきっちり伝える事にしている。私はこれを鯛の悪足掻きと言っている。

よく喋る割に内弁慶で人見知りの私は、他人に対して「まあ私が伝えなくてもいっか」と、余程のことが無ければ何も言わないのだが、歯医者だけは、歯医者だけは、鯛の悪足掻きを行う。
それは昔の定期検診で「小さい虫歯があります」と言われた経験に起因している。
歯の定期検診はもう長く近く続けているし、私は口内炎が出来やすいので歯磨きも欠かさないのだが、それでも「小さい虫歯があります」と言われた。目元のタオルを取られ、姿勢を少し起こし、鏡を持たされ「わかります?ここです」と場所を確認する。なるほど、針の先程の小さな虫歯が無影灯に晒されている。 
「定期検診を受けていても、奥歯はなかなか手入れが難しいですからね。小さいから麻酔しなくても大丈夫。すぐ削っちゃいましょうね!」と言われ、私も「そうなんですね。いや、痛くなる前に気付けて良かったです」と二つ返事で削って貰ったわけだが、ジワジワ痛かった。飛び上がるほどではなかったが、もう悪いことはしません神様仏様ご先祖様と祈るくらいにはジワジワ痛かった。
終わった後に「あの、痛かったです…」と伝えたら「削ってみたら雫型になっていて、ちょっと深かったんです。麻酔するかしないかギリギリの大きさでした」と言われた。
言うてくれ、出来れば一旦、言うてくれ。
悲しい一句も詠みたくなるのである。

この経験から、どれほど小さな虫歯でも削る時は麻酔をしてもらえないか交渉すること、治療に入る前に伝えたいことは全部伝えることは心に決めているのだ。

歯科衛生士さんは世界で一番大人に優しい存在なので、鯛の悪足掻きにも「知覚過敏の場所を確認しますね」「痛くありませんか?」「口内炎の場所を見ますね」「少し冷たいですよ」と、丁寧に接してくれる。オルゴールの繊細な音のように可愛らしい声色で「楽にしていいですよ」と逐一声をかけてくれる。
これなら鯛も心が決まる。安心して捌かれよう、と身を預ける事が出来るのだ。

そうして薄ら明かりだけの世界で、治療に身を預ける。

そういえば、若い頃に歯医者に行きたくない理由第1位は「虫歯の治療が怖いから」だった。
けれど加齢と医療の発達は残酷なもので、今ではそれに加え、1位タイ「歯石を取る時の痛み」、 1位タイ「歯周病の有無」、1位タイ「歯の健康状態における認知症のリスクを理解した上で現実を受け入れる怖さ」、1位タイ「口の中の状態が自分で掴めないから歯医者に行くまで未知であること」等、年々増えている。全部1位タイ。最下位は「疲れる」である。 

「お口の中の様子を見ていきますね」と声をかけられ、私は「はぁい」と、給餌を待つ雛鳥のようにパカーと口を開いて身を預ければ、今日の処置は本格的になっていく。

私が通っている歯医者は、診察台の正面にタブレットより一回りほど大きなスクリーンが設置してあって、画面には川が流れる山里の様子や鳥が囀る森林の中が延々映し出されている。
なので、うっすらと明るいだけの世界に誘われている私は、川のせせらぎやチュンチュンだとか、ホーホケキョだとかの鳴き声、何やら人が辺りをうろつく足音、受付の声、隣の診察台でのやり取り、隣の隣の診察台のやり取り…と、聴覚ばかりが洗練されてゆく。

パタパタ・・・ ガラッ!スタスタ・・・
「どうです?お変わりはないですか?」
「特にはないです。」
「じゃあ今日はまず、下の歯の歯石を取って行きますね」
カタカタ、プシュー、プシュー
「マイナンバーカードは持って来られました?」
「いや、今日は持ってきてなくて」 
パタパタ・・・キュイーン、キュイ、キュイーン
「歯磨き、丁寧にされてますか?」
「いやぁ…まあまあ…」
「歯磨きちゃんとしないと駄目ですよ。汚れがほら、こんなにあります。これがたまると痛くなるんですよ。フロスってしますか?」
ホーホケキョ! 

全員、仲間だ。
同じ状況の、まな板の上の鯛であると思えば、私も勝手に心強くなっていく。

「じゃあ歯石を取っていきますね」と口の中に歯石を取る機械、唾液を吸い込む機械が挿入される。それを皮切りに洗練された聴覚は、自分の歯石を削る超音波のような音に埋め尽くされていく。皆、そこにいますか?なんて思いながら、ますますハンカチを握る手に力がこもるのだ。

被せられたタオルの下で目をつむり、あぁ、痛くありませんようにと願う。

ふと、「なんなら知覚過敏の歯の歯石を除去されるより宇宙人の力で脳内にチップを埋め込まれる方が痛くないような気」がしてくる。

そういえば、宇宙人に拐われた人間が何かしらの処置をされるとすれば、それなりに広い部屋の真ん中にぽつんと設置された実験台で四肢を固定され、周囲を宇宙人に囲まれた状態で…というのが定石である。
あれも、例えば何人か同じ状況の人間がいて、宇宙人もそれぞれの実験台に1体で、人間が怖くならないように人間界のラジオや音楽を流してくれたらいいのに。そして実験を行う宇宙人は人間語が話せる意思疎通可能タイプで、せめて「コンニチワ、今カラ貴方ノ健康状態ヲ確認シマス」とか「貴方ノ脳内ニ、チップヲ挿入スル理由ヲ今カラ説明シマス」とか「痛ミガアル場合ハ、スグニ教エテクダサイ」と話してくれたら幾ばくかは安心感もあるような気がする。

いや、でもそれ、ほぼ歯医者やないかい。

そんなくだらないことを、歯医者に行く度に思い巡らせている。

私は来週も、歯医者にいかねばならない。

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