【再掲】会わなくなっても、慣れるはずなかった──「ゴスペラーズ坂ツアー2021 "アカペラ" #あなたの街にハーモニーを」に行かなかった話
※この記事は2022年3月末でサービスを終了したrockin’on.com「音楽文」へ2021年8月に投稿したものを再掲しています。
✎︎____________
私の選択は間違っていたのだろう。
大切だからこそ。愛しているからこそ。
「ゴスペラーズ坂ツアー2021 "アカペラ" #あなたの街にハーモニーを 」
私にとって予定より3ヶ月遅れの初日だった。5月に札幌・カナモトホールで観る予定だったそれは、8月22日、WOWOWの放送で観ることとなった。
札幌公演の2日間、どちらもチケットは取っていた。開催の1週間前まで行けると思っていた。行くつもりでいた。
直前になって、状況が悪化した。
近くの人というわけではなかった。
仕事だって調整すれば時間休をもぎ取ることだってできたはずだった。
けど、私はそれをしなかった。
あの時はそうする気力も削がれていたのだと思う。
無理かもしれない、と一度思ったが最後、
ネガティブな感情に引きずられて、結局諦めてしまった。
そうこうしているうちに千秋楽も終わり、こうしてテレビで放送されて。
時間が経てば経つほど、ライブの輪郭がはっきりしてくるほど、辛くなった。
WOWOWで放送を観た今、一番辛い。一番悔しい。
最後に行ったライブは1年半近く前だった。
今回のライブのカメラが入った日本青年館、そこには行ったことなんてないのに、1年半前の「ゴスペラーズのライブ」の空気を知っている私がその会場の空気を感じ取って泣いていた。
好きになってから初めてライブに行くまでに期間が空いていたからかもしれないが、ゴスペラーズの5人がステージに並んでいる姿を生で観るといつも言いようのない感動でいっぱいになる。ライブに行く度にそれを肌で感じていた。
その肌感は、画面越しでも伝わってきた。
顔を合わせなくても和音が作れてしまうこの時代に、声も性格もまるで異なる5人が横並びで歌っている。
そこで生まれるハーモニーの美しさを、煌めく空気を、私は知っている。
画面の向こうの彼らは、いつものようにそれをやっている。
新曲より何より、私はこの空気を生で感じたかったのかもしれない。
物語は声と文字だけで進んでいく。
「どんなに時間がすぎさっても
どんなに離れてしまっても
あなたの声は必ずそこにいて
わたしの居場所をおしえてくれる
わたしの明日をしめしてくれる
遠い遠いこの街角で
私は今日も
あなたの声に照らされながら」
ドラマパートラストの、「あなた」の台詞だ。
いつか彼らに向けた手紙で、私は似たような言葉を記した。
彼らのことは、灯台のようだ、と表現した。
照らされていた光が遮られてしまったあの日、2020年2月26日、不安を落ち着かせるために、その日まで私は毎晩、北極星を聴いていた。
このツアーのドラマパートの最後に披露された曲だった。
北極星を聴くためだけに札幌へ向かえばよかった。
1年以上止まったままの時計を、無理矢理にでも動かしてしまえばよかった。
そうすれば、何かが変わっていたかもしれないのに。
どこまでもチョロくて、どこまでもフッ軽だと思っていた自分は、思っていたほどの行動力と覚悟をその時持ち合わせていなかったようだった。
私もきっと、つまづいた、だけだった。
ゴスペラーズのメンバーは至るところで、このツアーに行かない選択をした人への理解を示してくれている。「どんな選択も尊重する」と言ってくれている。
その気持ちは、ありがたく受け取りたい。
尊重してくれているから、優しいから、ごめんね、と言ってしまいたくなる。ゴスペラーズに対して。過去の自分から今の自分に対して。
選択しない、行動しないことで後悔するのが何よりも嫌いだから。
1週間後に予定していたファンクラブ会員限定のイベントは中止になってしまった。
いつかまた会える確信は持っている。
同時に、もう二度と会えないかもしれない、とも思う。
私は、紙一重で前者の船に乗る。
次こそは、と微かな希望を託す。
3ヶ月が経った。ツアーは終わった。彼らは次に進むだろう。
映像を観たら何か変わるかと思ったが、そうはいかなかった。
このツアーが素晴らしいものだったから、放送で初めて観て、本気で生で観たいと思ったものだったから、私が出す答えは変わらない。
私の選択は間違っていたのだろう。
大切だからこそ。愛しているからこそ。
もう後悔はしたくない。
だから彼らにまた逢いたい。