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日本語教室完成しました!
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敷地の北東の角に日本語教室を作ります。樹の陰になるので、ここでは一番いい場所といえます。
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高床にはせず、土台をコンクリートで固めます。雨季の後半の大雨が降った時に、どの程度まで水が来るのか、埋め立て地なので予測がつかないのですが、レンガを3段積みました。使っている柱材は、黒檀(!)およびそれに匹敵する固い樹だそうで、どうやら私のセンスを理解してくれつつあるオーンさんが、コンクリート柱にしなかったようです。
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真ん中がオーンさん。彼の指示があると仕事はどんどんはかどります。そのかわり、彼がいない時はまぁ、ノンビリのんびりですね、カンボジア方式です。
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茅葺屋根が完成しました。破風の部分は、少しでも経費節約のためヤシです。直接雨が当たる部分にはヤシは弱いので使えません。
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床部分に石を撒いて砂と土を入れて固めてからセメントを流し入れます。みんな裸足!
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私が見ていない日に壁が完成していました。資金不足のため、トタン壁で、入り口に扉は付きません。右側に茂っているのは菩提樹。校舎こそ質素だけれど、菩提樹の木陰でお勉強というのは、きっと仏様のご加護もあることでしょう。
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話は飛びますが、しばらく前にオールドマーケットに卵を買いに行きました。卵屋の兄ちゃんはカタコトの日本語を話し、それまで私たちは日本語で会話をしていました。ところがその日、彼が「日本語をやめて、今は中国語の勉強をしている」というのです。う~ん、あなたもか?と寂しい思いはありましたが、以来彼とは中国語で会話をするようになりました。これまたカタコトではありましたが、毎晩仕事が終わってから中国語教室に通っていると意欲満々の表情でした。
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そしてつい先日、卵の上に彼のノートが置いてあったので勝手に開いてみて、私はあっと声が出てしまいました。「誰が書いたの?先生のお手本?」と聞くと、自分で書いたというのです。「えっ、自分で書いた?」「嘘でしょ?ほんとうに自分で?」と私は3回聞きなおしました。まるでトレーシングペーパーでなぞったかのような正確な漢字で、日本人の私ですらこれほどきれいには書けません。
風貌からして、恐らく彼は中華系だと思うのですが、中華系といってももう何代も前からカンボジアに住んでいるだろうし、最初の頃はほとんどまったくといっていいほど話せませんでした。それがわずか半年の間にこれ?
以前は英語についで人気の高かった日本語でしたが、最近は日本語教室の看板を見ることもめっきり減って、中国語にとって替わられたようです。
だからこそ、細々とボランティアで続けているカオンの日本語教室は頑張ってほしいものです。これまで2年間ほど、民家の庭先でやっていたようですが、ささやかとはいえ、専用の教室ができました。私はクメール語ができないので、授業というのはできませんが、子どもたちにはいつでも好きな時に来てもらって、生の日本語に触れてもらうためのお手伝いはできます。
いずれは、日本から中古のパソコンを持ってきて、パソコン教室も開きたいと思っています。子どもたちと一緒に、日本のアニメが楽しめるようになる日が早く来ればいいなぁと、ぼんやりと夢を見ているのです。
(後日、卵屋の兄ちゃんに確かめたのですが、両親は中国語を話さず、すでに亡くなっている祖父母が話せたかどうかはわからない。先祖がいつカンボジアに渡ってきたかもわからない、ということでした。)