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Oral history 寨子坪

寨子坪(ジャイズピン)                               西湾村と湫水河をはさんでちょうど対岸に寨子坪という村があります。黄河に面した村です。そこへ行く途中で、偶然顔見知りの女性に出会いました。前々から遊びに来てくれと誘われていたのですが、彼女はいまも毛主席を熱愛する愛国主義者で、「あなたたち日本人がこういうことをしたのよっ!」と、「日本人」の前に必ず「あなたたち」と付け加えるのが私はイヤで、実はこれまで寨子坪村からは足が遠のいていたのです。

今回は時間も早かったので、村を案内してもらいました。この村も磧口(チーコウ)とのつながりで、金融業で財を成した家など、いまも立派な門構えの邸宅が山の中腹に散在していました。

もともと軍事的価値の高い要塞都市だったようで、山の頂に石組みが残っており、ジンギスカンの頃のものだと、村の老人はいっていました。

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また、毛沢東、周恩来が内戦時代に来て一晩泊まったというヤオトンがあり、そこも見せてもらいましたが、どうやらその家のおばあちゃんは、日本人を歓迎したくはなかったようで、私の顔を見るや否やそそくさと部屋に入っていきました。

一軒の家の前で立ち話をしていたところに、その家の主人が帰ってきたので、日本軍が来たときのことで何か覚えていないかと聞いてみました。彼は私の顔をしげしげと見て「中国人とばかり思ったよ」といって、これまでとはちょっと違う、興味深い話を語ってくれました。    (2005-10-25)

陳祖儒老人(75歳)の記憶

日本軍が最初に来たときは、黄河の浅瀬のところにたくさんいた。初めは村人も彼らを歓迎した。2回目に来る2、3日前には、大砲の空砲の音がして、それからやってきた。中国人の道案内人を連れてきて、すべての家々をまわって強奪を始めた。案内人も一緒になって強奪していた。

日本軍の中に家族を連れている兵隊がひとりいた。子供が3人いて一番上が女、真ん中が男、一番下の生まれたばかりの赤ちゃんは女だった。

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