旅芸人の一座がやって来た。
樊家山で晋劇が始まりました。“旅芸人の一座”がやって来たのです。総勢50人ほどの大団体で、一部は自分たちのミニバスで、他の人たちは離石からの路線バスでやってきました。午後8時から始まって3泊4日、1日2公演で、空いているヤオトンに寝泊りしての興行です。太原に本拠を置いている劇団だそうですが、ずっと旅から旅への生活で、定まった住所はないとみんないっていました。
この劇団は私がこれまでに見た中では、装置はともかく、衣装もなかなか立派で、何より一番歌唱力を持っている劇団のように感じました。4日間で13,000元(≒182,000円)、そのうちの5,000元を、去年事故を出して、その後炭鉱を売り払った旧老板(経営者)が出したそうです。もっとも、1万元出してもらってもまだ安い、というのが村人たちのもっぱらの口の端ではありますが。
仮設舞台の前にはアイスクリームや飲み物、ちょっとした軽食がとれるテントや、子供目当ての安物のおもちゃを商う屋台が7、8軒並び、オート三輪で野菜や果物を売りに来る人もいました。それぞれの家に他村からお客さんがやってくるので、食事の用意をしなければなりません。
また、こちらの人たちは台球(ビリヤード)がものすごく好きで、その台を置いて使用料を取る商売もあって、これが4台も並んで盛況でした。ただ、台球をやっているのは、普段村で見たことがない若い人たちばかりで、晋劇という村の一大セレモニーのために町から帰ってきている人たちです。
坂の上の方には一塊の黒い集団が見えたので何かと聞いてみたら、これは賭博だそうで、かなりの現金が動くようです。普段から村人たちはバクチ大好きで、毎日やってます。ただ、じいちゃんたちの掛金は、ばらしたタバコ。それを1本ずつ掛けていくので、まあ単なる娯楽の域を出ませんが、こういう時の掛金はどうやら100元札が使われているようで、男たちの顔も真剣になります。女性もやりますが、それはだいたい部屋の中でやって、男性の中に混じって外で賭けているという姿はこれまで見たことがないです。
晋劇は、ひとつの出し物がだいたい2、3時間かかり、概して、実際に観ているのは老人ばかりで、若者はこれを機に里帰りし、仲間たちとわいわい騒いで楽しむというお祭りのようなものです。なんだか、終わったばかりの春節の雰囲気と似ていました。小学校もこの間は休暇に入ります。
開催されるのは、春耕が始まる前の3月後半から4月頃が最も多く、これが終わると農耕の季節がスタートするわけです。また、春節の時に行われる村もありますが、それぞれの村で日時が決まっていて、劇団が次々と場所を移動していくわけです。3泊4日が一般的ですが、よほどビンボーでない限りどこの村でも呼ぶので、つまり春になると、ほとんど毎日近隣のどこかでやっているということになります。
費用は村人たちが出し合います。一番少ない人は20元ほど。村を出て町で商売に成功した人などは、気張って1000元とか2000元とか出します。そして、その金額と名前を書いた赤い紙を、みんなの目につくところにずらりと貼り並べるわけで、自ずとその家の台所事情が衆目にさらされることとなります。
私も100元出しました。もっと出してもいいのですが、これにはやはりランクというものがあって、200元出してしまうと、実際に200元を出している人たちの見栄のレベルをやや下げてしまうかもしれないので、100元がちょうどいいのです。
晋劇そのものは、とにかく一幕が長く、言葉がわからないので、とても舞台を見ている気にはなれず、もっぱらビデオを抱えて、“楽屋裏”を撮ったり、観客たちの表情を見物したりしていました。
ところがこの劇団のマネージャーらしき若い人が、やたらと私に突っかかってくるので、例によって、「私は個人でここに来ているのであって、日本人を代表しているわけではない」と強くことわってから、PAなどを仔細に点検してみました。「あんたたちが使ってるのTOSHIBAじゃないの。そんなに日本が嫌いで、なんでこれ使ってるの?」というところから始まり、テレビの抗日ドラマを真似て、聞こえよがしに「メシメシ」「バカヤロウ」「ヨシ‥‥」を繰りかえす役者たちに、「違う、違う!バカヤロー!……はい、もう一度!」と発音を正してあげました。
彼らも日本人と口をきくのは初めての人ばかりですが、毎日この調子でやっているので、じきに仲良くなって、タバコを交換したり、ご飯をご馳走になったりしました。別れる時には、次の興行先まで一緒に行こうと誘ってもくれました。4時間ほどのテープを撮ったので、いずれ編集して、どこかの興行先で再会して渡したいと思っています。 (2007-04-17)
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