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トッケイファームに鶏が来る

明けましておめでとうございます。長らくのご無沙汰でした。前回のアップからすでに2か月以上経ってしまいましたが、その間にやっていたことといえば、ひたすらの畑仕事と夜ごとのアトピーとの闘いでした。

20代から数年に一度発症していた持病ですが、中国にいた頃は一度も発症していなかったはずなので、少なくとも20年ぶりくらい、しかもすでに1年という最長記録です。

シェムリアップで専門医を見つけるというのは至難の業で、やむなく、これまでの経験知と日本にいる医師の友人のアドバイスとネット情報に噛り付いて、一進一退状況と闘い続けてきました。幸いここ1週間ほどは小康状態です。それにしても、アトピーというのは、普通は乳幼児や子どもに多い病気で、高齢者が発症するという話はあまり聞かないように思うのですが……

それでも日中は発症しないのと、そもそも他にすることもないので、ファームには欠かさず毎日通っています。車で片道20分ほどの距離ですが、途中にこんな空き地があって、時々牛が放牧されているのを見ます。で私は、いつもここで牛糞を拾います。そんなものを拾う人は他にいないので、いつもスーパーの大袋一杯にもらってきます。牛さんありがとう、土壌改良剤としてとてもいい資材になるのです。

ファームに実ったバナナ。樹の上で完熟させてから収穫しましたが、直後にはやや渋みがあって、1、2日は放置しておいた方がいいようです。カンボジアのバナナは、日本で見る台湾やフィリピンのものと比べると、寸詰まりというか、コロッ!とかわいい形のものが多いです。数えてみたら、全部で60本以上あり、バナナジュース用に冷凍しました。一番先っぽに実ったのはこんなに小さいのですが、味はしっかりおいしかったです。

パパイヤは植えてまだ1年ですが、もう実を付けました。ブーゲンビリアは、私があちこちから小枝をもらってきて挿し木で増やしたものです。現在苗木が色とりどり30本ほどあり、ファームの周りをブーゲンビリアの生垣で囲おうと思っています。

堆肥置き場を掘り返していたら、カブトムシの幼虫が出てきました。先回同じところで見つけたのは、8月14日でした。5か月ほどでまた見つけたわけですが、恐らくは寒暖の季節のない国なので、年中時期を選ばす産卵しているのかもしれません。

スコップを置いて、手で慎重に掘り返してみたら、全部で19匹いました。いったいカブトムシは1個体で何個くらいの卵を産むのだろうと、ネットで調べてみたら、1度に2、3個ずつ毎日産み続け、1個体で50個から100個の卵を産むんだそうです。ということは、この子たちは同一の親から産まれた子どもたちですね。でも、100個も産むんだとしたら、恐らくはメスは産卵後じきに死んでしまうんでしょう、なんか儚いですね。ま、カマキリほど凄まじくはないですが。

ペットボトルに入れて成虫になるのを待つことにします。前回は羽化までに1か月ちょっとかかりました。時々水分補給だけして、あとはこのまま静かに見守りたいと思います。腐葉土を食べて育つのでエサはいりません。前回は2匹ともメスでしたが、今回はこれだけいればオスもいることでしょう。やっぱりカブトはオスじゃないとね。

雨季が明けた11月中頃から順番に野菜を育てています。上の写真は界隈では最も一般的に栽培している青菜ですが、11月17日にお隣の畑の間引き苗をもらって植えたものです(向こう側はオクラ)。これは虫食いもほとんどなく順調に育ちました。味もとても良かったです。近所の人も、農薬なしでこんなにきれいに育つの?と驚いていました。これも一気に収穫するのでひとりでは食べきれず、小分けして冷凍室行きです。

これ以外に、トマト、オクラ、空心菜、菜花、かぼちゃ、リーフレタスとひまわりの種を蒔きました。ところが、トマトとオクラとかぼちゃは発芽したのですが、あとは発芽しないのです。村人にひとつひとつ聞いてやればいいのですが、なにしろ皆目言葉がわからないのと、何でも自分でやってみないと納得ができないサガなので、時間ばかりかかっても試行錯誤の繰り返しです。

で、ようやくわかったのですが、気温が高すぎるのです。例え発芽してからは高温を好む植物でも、発芽適温というのはずっと低いのが普通です。日本ならば春先に蒔いて夏に収穫するわけですから。

乾期に入ってずっと過ごしやすくなったのですが、直射日光下で測ってみたら、やはり40℃ありました。日陰にいれば30℃くらいで湿気もなく快適なので、ついついナメていたわけで、寒冷紗はもちろん使っていますが、苗床は日陰の別の場所に用意しなければならなかったのです。

そもそも私が育てたいトマトとかレタスとか人参とか、みな″高原野菜″です。ベトナム国境と接する極々一部を除いて、″高原″というものがない、しかも粘土質土壌のカンボジアでは、米作はできても畑作は向いていないのです。少なくともこの村では、これらのものを作っているところを見たことがありません。市場で手に入る種子というのはほとんどがタイ製ですが、タイやベトナムには畑作に向く高地があるのです。もちろん種を売っているのだから、栽培している人はいるはずですが、私が日常的に市場で目にする野菜たちの多くはタイからの輸入品のようです。

とにかく、どこかに出荷するわけでもなく、飽きることなく懲りることなく、かつて暮らした信州伊那谷や中国黄土高原の畑を縷々思い浮かべながら、黙々と試行錯誤の繰り返しです。それ自体は、私はぜんぜんイヤではありません。

ところがそんなタラタラの日常にまみれたある日、あなありがたや、20代の若者がふたり、助っ人としてトッケイファームにやってきたのです。ことの発端は、私自身のたんぱく質補給のために鶏を飼いたいと、入手先を探していた時、知り合いからNPOのメンバーの青年を紹介してもらったことです。

実はこの「Kumae」(クマエ)の代表者とは、私がカンボジアに定住する前にお会いしたことがあり、その村にも行ったことがありました。そこでは最近になってから養鶏も始めたようで、鶏を譲ってもよいということになったのです。

それで、まずは鶏小屋作りをということで、Kumaeメンバーのいつき君と、1年の予定でインターンとして東京からやってきている大学生のゆめと君が、助っ人に来てくれたのです。

いやぁ、いいですねぇ、若い人は。私には不可能な穴掘りや重いものの移動などテキパキとこなしてくれ、しかも日本語で細かい意思疎通ができる。言葉って、こんなに便利なものなんだと、当たり前のことを改めて痛感しました。

鶏小屋の前に、まずはジョクさんの家との境に扉を付けてもらいました。人の出入りもともかく、夜中に犬がやってきてあちこちほじくり返されるのに困っていたのです。どうです、この笑顔!若干21歳、ゆめとは夢人と書きます。

1日2個の卵が欲しいので、雄鶏1羽と雌鶏2羽か3羽を飼う予定。村ではどこもまったくの放し飼いで、扉のあるような小屋を用意している家を見たことはありません。村人の飼い方は、卵は食べずにヒナを孵し大きく育てて食肉用として売ります。村人自身はもっぱら安いアヒルの卵を食べるのです。

ところでこの柱、鶏小屋にしてはえらく立派だと思いませんか?竹やら材木やら売っている小さな資材屋が村の中にあって、私ももうお馴染みですが、ゆめと君と資材を買いに行った時、なぜか他に適当なものがみつからず、こんな太っとい材木になりました。これ、黒檀です(黒い木肌が見えますね)。途中で釘を打ち付ける段になって、どうしても釘が入らず、ついに電動工具で穴を開けて打ち込みました。もう鶏様を飼うにはもったいないくらいの御殿です。

いつき(一樹)君はKumaeのメンバーでカンボジア4年目を迎えたサッカー青年。時々子どもたちのサッカー教室のコーチもしているようです。カンボジアに定住している若者にはサッカー青年がやたらと多く、こっちのプロチームに入っている人もいます。彼はクメール語がけっこう達者で、電話もぜんぜんOK。さすが若い人は速いですね、私なんか未だに数もまともに数えられません。

彼らは別の仕事もあるので、ぼちぼちで都合10日間ほど来てもらって鶏小屋は完成!ダイヤルチェーンロックも付けます。これでようやく私のたんぱく質が確保できる、生き物が身近にいるのは癒される、とほのぼのとした気分になっていたら、途中で見に来たカオンは開口一番

「盗られるよ」

夜は誰もいないことをみな知っているからだそうで、酒のアテに失敬してゆく輩がいるだろうというのです。しかし、私の存在はすでにみなに認知されているだろうし、鍵まで壊して盗ってゆくのだろうか?私は村人を信じたいです。

ということで、鶏がお輿入れをしたらまたお知らせします。




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