見出し画像

カンボジアの伝統行事 ソーモンラックロウ

先週のことですが、白い服や白いストールをまいた女性が何人もトッケイファームの横の道を行き来するので、近くで葬儀でもあるのかしら?と思っていました。

カオンに聞いてみると、葬儀ではなく病気からの回復を祈願する伝統儀式だそうで、私も来ていいよ、写真も撮っていいよ、といわれたので行ってみることにしました。ファームの2軒隣のお宅です。

高床式の家の2階に祭壇が設えられており、親族と近所の女性たちが集まっていました。写真の坊主頭の人たちはみな女性です。60代くらいになったり、夫が先に亡くなったりした場合、お寺に勤めるという意味合いで頭を丸め、仏教行事には積極的に参加します。

アチャーという儀式を司る男性が、何か盆に載せたものを外に持ち出して、それに火を点けます。真ん中の茶色い箱型のものは棺桶の模型で、それを燃やすことによって、もうすでに死者の身体は神様にお返ししましたよ(だからもう来ないで下さい)、という意味のようです。本来ヒンドゥー教の儀式だそうです。

庭の片隅で、参加者に振るまわれる食事の用意がされていました。私は毎日アパートとファームの間を車で行き来しているので、実は村人の顔がわかるのはほんの数人にすぎないのですが、村人の方は私の顔を知っている人が多く、みんなから声がかかります。

右端の女性がペットボトルからコップ(ペットボトルの頭を切ったもの)に注いでいる飲み物に少し赤い色が付いていますが、これはカンボジアの米焼酎「スラソー」です(赤い色は薬草)。街中で買うことはできませんが、農村部に行くと自宅で作っているところがあるのです。

これを、客人が来るとコップに少量注いで、お互いで一気飲みをするのが風習で、これは以前いた中国でもまったく同じでした。味は日本の米焼酎とほとんど変わりません。度数は30~40%くらいだそうですが、さらっとしてけっこう飲みやすい酒です。で、″酒に汚い″私は、最初の申し出をニコニコ顔でぐっと一気に飲み干したので、こいつはいける、と思ったんでしょうね、次から次へと″わんこそば″のようにスラソーが注がれて、イヤこっちはひとりなんだから、と早々の体でその場を離れました。

そこへご祈祷を受けている当のご本人が、お坊さんと親族たちに囲まれて2階から下りてきて、みなで沐浴をさせます。カオンの外叔父にあたる人のようですが、枯れ木のようにやせ衰え、見ているだけでも気の毒になるのですが、周りの村人たちはみな楽しそうに団らんして、スラソーの一気飲みなんかしているのです。私から見れば、結婚式の風景とほぼ区別がつきません。日本ならば、こういう場に部外者が入って来て、ましてやカメラを向けるなんて考えられないことですが、ところ変われば品物の名前が変わるのはもちろん、文化も人の意識も変わるものです。

沐浴が終わって部屋に戻ると食事が始まります。叔父さんの元に運ばれてきた食事ですが、残念なことにもう口にすることはできないようでした。

同じものがそれぞれのお坊さんたちの前に運ばれてきます。酒こそ出ないものの、みなリラックスして、時々スマホなんか見ながら食事をします。その間、参列者たちはみなお経(?)を唱えながら、じっと彼らの食事が終わるのを待っているのです。お坊さんたちは、最後にそれぞれの托鉢袋に残った料理の一部を詰め込んで(入れ物とか、ビニール袋を用意していた)、お持ち帰りをします。

そして、お坊さんたちが帰ると、そのお下がりを集め、新しい皿も加えて、ようやく参列者の食事が始まるのです。これには少々驚きました。カンボジアにおける僧侶の地位というのはそれほどまでに″神聖″なのです。あのポルポト政権下に徹底的に破壊し尽された仏教の地位を、ここまで回復させたカンボジアの民衆の心にある信仰とはいったい何なのか?せっかく現地にいるのだから、これからもせいぜい学んでゆきたいと思っています。

ところが本日、カオンから電話が入って、くだんの叔父さんの病気は医者も見放しているようですが(おそらくは末期ガンだと思う)、きのう、祈祷師に頼んで占ってもらったそうなのです。そこで、叔父さんの病気が良くならないのは、私がファームの周りに壁を作ったのが原因だと言ったというのです。ファームから2軒隣で、確かに直線距離的には50mもないと思います。ただし、壁といっても、私がトントン自作した高さ1mほどの竹矢来で、もともとの沼地の茂みよりはむしろ風通しはいいくらいです。

その竹矢来を一部撤去してもいいかと聞かれたので、それは承諾はしましたが、明日見に行って、どうなっているか確認します。正式な扉があるわけでもなく、人間は自由に出入りできるのですが、ファームの周りには犬がわんさかいて、それが夜中に侵入して、畑のあちこちをほじくり返すのが問題なのです。挿し木苗とか移植後とか、さんざんやられました。

しかしこの先、何か禍々しいことが起こった場合に、日本人が村に住み着いたからだといわれたら、私はそれにどう抗ってゆけばよいのか?今さら引っ越すことは不可能だし、新たな難題を抱え込みそうで頭が痛いです。

蛇足:れいわ新選組の山本太郎が緊急入院というニュースを昨日見ましたが、アナフィラキシーショック状態で入院したということで、すでに退院したとか。実は私はこの1年ほどアトピーに悩まされていて、最近は特にひどいのです(20代から時々発症する持病)。アトピーはアレルギーと違って(例えば卵アレルギーなら、それを食べなければよい)原因を特定することが難しく、複合的で、特に心的ストレスや身体的過労に影響されることが多いのです。アトピーの辛さは、実際に体験した人でないとわからないと思うのですが、山本太郎が全身アトピー状態になって入院したというのは、私はもうめちゃめちゃわかります。痛いのはもちろん辛いですが、痒いというのもほんと~~に涙が出るほど辛いです。私がストレスと過労……、このふたつから解放され、夜ごと安らかに眠れる日はいったいいつになるのでしょうか?




いいなと思ったら応援しよう!