うさぎ啼きなさい。
うさぎ その1
22日夕方、離石から帰ってくると、いきなり庭にうさぎがいました。けっこう大きな白いうさぎです。聞いてみると、六六という村の青年が誰かからもらったものを、自分の家では飼えないからくれたんだそうです。確かに、私たちが今住んでいるヤオトンは、少し高くなった崖の上にあって、レンガ積みの塀と扉付きの門に守られて、庭では動物が放し飼いにできる状態になっています。こういう閉鎖的な構造はここではきわめて少ないのです。
うさぎなどこれまで一度も飼ったことはないのですが、さっそくレンガを積んで彼(彼女なのかもしれませんが)の住処を作り、食べそうな物をいろいろ取り揃えてみました。意外となんでも食べて、緑のものはもちろん、ナツメ、さつまいも、ピーナッツ、うどんまで食べました。しかもモリモリとてもよく食べるのです。名前は「うさぎ」と付けました。
本来夜行性の動物だと聞きますが、ここは外に出ると大きな犬が放し飼いにしてあるので、夜は小屋の中に入れることにしましたが、これがもう大仕事。とにかくものすごく速くて、大のおとな3人がかりで庭中を走り回ってなんとか捉まえるのですが、“脱兎の如く”という言葉の意味がよくわかりました。しかも、まさかっ!というような崖をよじ登って、2回も脱走したのです。門や塀など、人工物を経由することはなく、必ず天然の土の崖をダダダダダッ!と駆け上っていくのです。
ところが4日目の26日になって、突然彼は穴を掘り出しました。黄土層は本来とても柔らかく、ちょうど雨もよく降った後なので、掘りやすかったとは思いますが、これまた実に器用に前足でザクザクザクッと掘ってパッパッ!と土を後ろに掻き出し、次にくるりと前向きになって、その土を両手でザーッザーッと前に押し出すのです。30分ほど働いては、30分ほど休憩します。こんなのは生まれて初めて見ましたが、実に動作がかわいらしくて、私は飽きることなくビデオを構えて、彼の仕事を撮り続けました。けっきょく夕方までかかって、1.5mくらいのトンネルを掘ったでしょうか。今日の仕事はここまでで終わったようです。
自分の巣も確保したのだから、万一また脱走してもきっと帰ってくるだろうと、その夜は小屋には入れませんでした。私は気になってしょっちゅう扉を開けて様子を見ていたのですが、少なくとも午後10時までは、崖っぷちに座ってじっと月を見ている(多分?)彼の姿が見られました。私が「うさぎ!」と呼ぶと、時々は走り寄っても来たのです。ところが、11時頃に見たときには、彼の姿がなかったのです。私は庭の隅から隅まで探しましたが、まさに忽然といなくなったのです。翌朝もその翌日も帰っては来ませんでした。
この界隈は、人里を離れると野うさぎがたくさん生息している地域です。彼があの夜、耳をピンと立てて、崖の向こう側に広がる野生の世界からの呼び声を聞いていたのだとすると、きっと仲間たちのところに帰ったのでしょう。いくら人間にかわいがられていたとはいえ、そしていくら危険が待ち構えているとはいえ、本来の自然に帰りたいという本能は、どんな艱難辛苦をも乗り越えることでしょう。私が最後に見た「うさぎ」は、孤高ともいえる凛とした後姿でしたが、無事に仲間たちの元に帰ったのだとしたら、彼のためには幸せだったかもしれません。しかしそれでも、あきらめきれない思いで、ひとり寂しくビデオを再生している私です。 (2007‐03‐27)
うさぎ その2
野生の世界に戻ったのだという私のロマン説と、放し飼いにされている犬に噛み殺されたのだというグオ老師の現実説は、共に間違っていて、実は第3の道があったのです。
「うさぎ」は2晩帰ってこなかったのですが、3日目の28日になって、村の楊さんの家で飼われていることがわかりました。六六が知らせに来て、午後には我が家に帰ってきました。なるほど、それは考えてもみませんでした。
脱出できそうなところをもう一度点検して、しっかりと塞ぎましたが、それでもいつかまた崖っぷちを這い登り、あるいは駆け下って“野性の世界”へ還ろうとするかもしれません。しかし、“うさぎ小屋”で飼うのは、日本人の私としてはひとしきり身につまされるので、やはり放し飼いにすることにしました。
そして今日は、朝からまたせっせと穴を掘り出しました。もうずいぶん深くなって、彼の姿が見えなくなるほどになり、昼頃には、それまでお尻から出てきたのが、ついに頭から出てくるようになったのです。穴の奥に身を回転させるスペースができたということです。すると今度は突然、彼はわら屑を捜すようになり、口いっぱいにくわえて穴の中に入っていったのです。これはっ!?も、もしかしたら‥‥?
「うさぎ」はどうやら彼ではなくて、彼女だったようなんです。庭にはちょうど去年の粟の収穫後の枯れ茎がたくさん積んであったので、その葉っぱをちぎってばら撒いてみると、彼女はそれをせっせと運び込むようになりました。7、8回運んだでしょうか。ちょうど六六が来たので聞いてみると、うさぎはもらわれてくるまでは2匹で飼われていたから、きっとお腹に赤ちゃんがいるんだろう、ということでした。やっぱり~、しかし特にお腹が膨らんでいる感じはありません。産まれるのはまだまだ先のことで、前もって出産の準備だけするのでしょうか?
枯れ草を運び終えた「うさぎ」は、はーはーと荒い息を吐いて、私の部屋で休憩です。朝から働きづめだったので、かなり疲れているようです。で、しばらくすると実に不思議な行動に出たのです。これまでせっせと掘っていた穴を、今度は埋め出したのです。同じように前足でザクザク土を掘り、それをザザーッと前に押し出し、そしてそれを前足でトントンと固めているのです。けっきょく30分ほどして、穴の入り口は完全に塞がれてしまいました。
私たち3人は、きっと出産間際には体力の温存が必要だから、前もって準備をし、しかし、誰か他の動物に盗られないように穴を塞いでおくのだろう、という意見で一致をみました。自分が住むための部屋ならば、すぐに住み始めるだろうし、どうやら赤ちゃんを産むというのは間違いなさそうです。
思えばこんなに辺鄙な山奥で、酷寒酷暑に耐え、水不足にも停電にも交通機関の不備にも、あらゆる不便さに耐えてここまでやってきて、ようやく神様は私にこんなワクワクするプレゼントをくれたようです。(2007‐03‐28)
うさぎ その3
私たち3人の見解は、またしても違っていたようです。六六がいうには、彼女はすでに出産を済ませている、それで、赤ちゃんを外敵から守るために穴を塞いだというのです。お腹がそんなに大きかったとは思えないのですが、4週間くらいたつと、自分で穴を破って出てくるというのです。1ヶ月も穴の中で暮らすのだとすると、やはり産まれたときはかなり小さなものだったのでしょう。
それからの「うさぎ」の行動も不思議なものでした。穴を塞いだ後に、急に自分の毛を口でくわえてパッパッと抜き出したのです。胸のあたりや前足の毛をむしるように抜いていきます。いったいぜんたいどうしたんだろう?これから暑くなるので古い毛を抜いておくんだろうか?
それからも「うさぎ」はときどき巣穴の前に行って、前足でトントンと入り口を固め、安全を点検しているようでした。
飼いうさぎがどれくらいに人間になつくのかはしりませんが、「うさぎ」はたった4、5日の間に、私にとてもよくなついていて、部屋に自分から入ってきて、糞をしていきます。外ではあまりしなくて、なぜか私の部屋でするのです。まぁ鶏の糞よりうさぎの糞は臭くないから、ぜんぜん気になりません。食べ物も私の手の上から食べます。ときどき咬まれるとものすごく痛いです。
そうそう、先住者の烏骨鶏のメリーとクリスなんですが、今は2軒となりのばあちゃんのところに住んでいます。というのも、しばらく前にグオ老師も張老師も、4月20日頃に離石に引っ越すといい出し、私はしょっちゅう部屋を空けるので、これはどう考えても飼えないということになって、前々から欲しがっていたばあちゃんにあげたのです。そうしたら、彼らの予定が急に変わって引越しは中止になり、そんなことならあげなきゃよかったと後悔していたら、入れ替わりにうさぎがやってきたのです。 (2007‐03‐29)
うさぎ その4
30日の朝になって、またしても「うさぎ」は不思議な行動をとりました。埋めた穴をまたセッセと掘り出したのです。いったいどういうことなんでしょう?
そして穴の中に入って数分で出てきて、またまた休憩です。そして、15分くらいたったでしょうか、今度はその穴を再々度埋め始めたのです。
この行動は、翌31日にも繰り返されました。朝9時頃と、午後3時頃です。いずれも10分ほどたってから埋め戻しています。ここにきてようやくわかったのですが、赤ちゃんうさぎに授乳し、その後また外敵から守るために穴を塞ぐのです。そして、毛を抜くのはどうしてかというのもわかりました。赤ちゃんのベッドを暖かくするためです。
いったいぜんたい、動物の本能って、どうしてこんなにすごいものなんでしょう。「うさぎ」はずっと家で飼われていたわけだから、こんな自然な環境の中で子供を産むということ自体もちろん経験してないわけですが、何から何まで用意周到、しかもそれらをすべてお母さんだけでしているのです。
ところで、赤ちゃんが外に出てくるまで、まだ20日以上かかりそうですが、私は「うさぎ」が猫にやられないか心配でしかたがないのです。私たちは3人とも外出することが多いし、私の部屋に入れておけば、赤ちゃんの面倒が見られません。しかし、この界隈は猫も多くて、私がいる間だけでもしょっちゅう追い払っている始末です。穴は塞がれているから逃げる場所がないわけだし、どうしたらいいんだろうと思っていたら、六六が、「大丈夫、子供がいる母うさぎはものすごく強いから、猫なんかには負けない」というので、やはり自然の状態にしておくことにしました。
でもとにかく心配で心配で、今夜も何度も扉を開けて「うさぎ」の姿を捜すのですが、いつも崖っぷちの同じ場所に座って、じっと対岸を見つめているのです。「おまえ寂しくないの?」と、私はときどき近づいて聞いてみるのですが、「うさぎ」は何も答えてくれません。 (2007‐04‐05)
うさぎ啼きなさい
7日の朝6時頃、グオ老師の大きな声で目が覚めたのですが、そのとき彼は、猫が来たけれど大丈夫、何でもないといったのです。それで私はまたウトウトして7時ごろに起きて「うさぎ」を見てみると、耳の先を咬まれていて、ちょっと血が出ていました。でもそれはほんのかすり傷程度で、他にケガはなさそうだったのでひとまず安心したのですが、元気がありません。どうやら、「うさぎ」を襲った猫は2匹だったようで、グオ老師が物音に気づき、裸足で飛び出して追い払ったのですが、まさか2匹の猫に同時に襲われるとは思ってもみませんでした。
猫はまた必ずやってくるので、もう庭に出しておくことはできません。私の部屋に入れることにしました。ところが「うさぎ」の大好きな豆腐や落花生でさそってもなかなか近づいてこないのです。襲撃されたときのパニックからまだ解放されていない様子でした。ようやくつかまえて部屋に入れたのですが、何も食べようとしません。しばらくは安静が必要だからかまわないでそっとしておくことにしました。2、3日もすれば元気を取り戻すだろうと、私たちはみな考えていました。
私たち4人は午後から下の招賢の町へ出かけました。ちょうど太原からグオウェイが遊びに来ていて、古い建物が残っている集落に行きたいといったからです。3時間ほどそこで過ごして帰り、巣の中の赤ちゃんを掘り出すことにしました。六六は反対しましたが、庭で飼えない以上、そして、今は何より「うさぎ」の命を守ることが先決である以上、リスクは承知の上での処置です。
穴は想像していたよりもずっと深くて、いつこんなに掘ったんだろうと驚くほどでしたが、けっきょく最後まで掘り進んでも赤ちゃんはいなかったのです。六六がいうことをそのまま信じていたのですが、巣の中には、わら屑と「うさぎ」の白い毛がいっぱいつまっていました。出産の準備をしていただけで、産んではいなかったのです。
それで、その巣の中のものを全部私の部屋のカマドの下の焚き口に入れました。もちろんその下には、いつも「うさぎ」が座っていたあたりの土をとって敷き詰め、念を入れて、すべて軍手を使って人間の臭いがなるべく移らないように注意し、入り口にはレンガを積んで、中が巣穴に近い状態になるように工夫もしました。
そうこうしている間も、「うさぎ」はただじっと机の下に蹲っているだけで、何も食べようとしないし、ほとんど動くこともありませんでした。でも、息が荒いとか身体が痙攣しているというようなことはなかったので、やはり精神的ショック状態なんだろうと思っていました。
夜になっても状況はまったく変わらず、同じ場所にじっとしているだけで、12時頃に私が寝るときも同じ姿勢で蹲っていました。声をかけても反応がなかったのですが、とにかくかまわないでそっとしておくのが一番だと判断して、食べ物と水を周りに用意して私は寝ました。
そして、翌朝7時頃に目覚めたとき、「うさぎ」はすでに死んでいたのです。まだ身体が温かかったので、明け方に死んだのでしょう。なぜか身体が180度回転していて、壁の方を頭にして死んでいました。残された最後の力をふり絞って、きっとどこか行きたいところがあったのだと思います。
私のところにいたのは、たったの18日間でしたが、その間にいろんなことがありました。「うさぎ」のために若草を摘みに隣村までも行きました。脱出のたびに青くなって探し回りもしました。満月の下で2人だけの運動会もしました。樊家山中が寝静まった深更、私たちはよく一緒に崖っぷちに座って対岸の闇を見つめたものでした。「うさぎ」と私は、短い間にほんとうに仲良しになっていたのです。
うさぎは鳴くことができない動物ですが、もしもあのとき、身の危険を察知してひと声叫ぶことができたなら、一瞬の差で「うさぎ」の命は守られたはずなのに、「うさぎ」はとうとう最後まで何もいうことはなく、深夜私の机の下でうつろな瞳から一筋の泪を流しただけで逝ってしまいました。
さようなら「うさぎ」、守ってやれなくてごめんね。あの世とやらで生まれ変わって、きっとまたどこかで会いましょう!
後には5本のビデオテープが残されましたが、それを見るのは哀しいので、今はそっと封印しておくつもりです。 (2007‐04‐10)
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