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古来より黄河流域では‥‥‥。

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門のところに付けられた赤い布が何を意味するかというと、「ウチには産まれたばかりの赤ちゃんがいます」「病気で寝ている人がいます」から、いつものように断りもなくドガッ!と入って来ないでください、という意味です。

近所で赤ちゃんが産まれたと聞いたので訪ねてみました。すでに赤い布は下がっていませんでしたが、私は“日本人らしく”ソッと扉を開けて、初めて会うお母さんにあいさつをしました。

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まずは、「名前は?」と聞いてみたのですが、彼女は「ない」というのです。もう3ヶ月近くたっている赤ちゃんです。私はどういうことなのか理解できなかったのですが、写真だけ撮ってあげて、そこは辞去し、言葉の通じるサンア老師ラオシのところに行ってみました。そこでまたしても、これまで私の知らなかった新しい事実を知らされたのです。

中国では子供に名前を付けることを「起名チーミン」といいます。日本では、子供が生まれたらすぐに付けるのが当たり前のことですが、この地方では子供が2、3歳になって言葉をしゃべるようになってから付けるのがフツーなんだそうです。じゃ、それまではなんと呼んでいるのかというと、「ドンドン」だとか「パンパン」だとか、適当な名前で呼ぶのだそうです。

で、おかしいのはここからで、サンア老師は、「ここらでは正式な名前など、戸籍をとるまでは必要がない」というのです。そして、その戸籍が必要になるのは、小学校に上がるときで、そのときになって初めて、地区の派出所(*日本の役場のようなもの)に出生届を出すのだそうです。でもほんとうは、生まれてから1年以内に届けを出す必要があり、年に2回ほど広報車が村を回って登録を呼びかけるそうです。

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「じゃあ、6、7歳になってから登録というのはマズいんじゃないの?」
「何いってるのよ。派出所だって自分の村で子供が増えるのイヤがってるんだから」

なるほど。現代中国の人口は公称13億、一説によると14億とも15億ともいわれる‥‥ともいわれているのですが、なぜそんなに途方もない数字の開きがあるのか、謎が解けました。中国では10年に1度の人口調査が行われますが、出生届が出されていない子供は、もちろん人口には含まれていません。        (2005-11-07)

12歳
私のところから湫水河をはさんですぐ向かい側の、河南坪小学校のサンア老師は30代の中頃ですが、土地の風習などとてもよく知っています。それで最近はしょっちゅう遊びに行くのですが、そのたびになるほどと納得すること、う~んとうなること、腰が抜けるほどびっくりすることなどなど‥‥興味が尽きません。

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先日は、子供の「12歳の誕生日」についての話を聞きました。この地方では、数え歳で12歳の誕生日は特別で、祖父母、親戚や友達などをたくさん集めてお祝いをするそうです。最近はだんだん派手になってきていて、レストランでやったり、楽隊を呼んだり(1,000元くらい)、もっと凄いのは、めでたいときにやる「二人台」(=掛け合い漫才のような伝統芸)を呼んだり(3~4,000元)して、盛大に祝うのだそうです。

呼ばれた方は「礼銭」(=ご祝儀)と月餅のような餅を10個くらいづつ持ってゆき、祖父母などは500元くらい、親族は200元とか100元‥‥などとかなりの大金が子供の親に集まります。子供の同級生などは、その親が10元づつくらい持たせるのがフツーだそうです。餅は帰るときに、もらった分の半分くらいを返すのがしきたりです。

それで主催者側がかなり“儲かる”のですが、子供が何人いても、これがやれるのは、長男か長女の1回だけです。

なぜ12歳かというと、実はこの土地の風習では、12歳が大人の仲間入りをする年齢で、それ以下だとまだ一人前の人間として認めてはもらえないのです。一人前の人間でないということはどういうことかというと、例えば、死んでも葬儀もしなければ、墓も作らないというのです。

では、12歳以下で死んだ子供の亡骸はどうするのかと聞いてみたら、「棺にも入れず、服も着せず、裸のまま河に流すか、山や河原にそのまま放置して自然のままにまかせる」というのです。彼女はこのとき「扔」(reng)という、「ゴミを捨てる」というときに使うのと同じ動詞を使いました。

う~ん、明朝清朝の世ならいざ知らず、有人衛星が飛ぶ21世紀の今どき、そんなことがあるのか。。。と信じられなかったのですが、彼女は「他の土地のことは知らないが、この黄河流域では昔からそうだったし、今でもそう。お金があるなしは関係ない」というのです。

人権擁護団体が聞いたらそれこそ腰を抜かしそうな話ですが、時の流れ方が違うというか、人の命の数え方が違うというか、なんといったらいいのか、人類の祖先が生まれた黄河の流域なら、あり得るなぁ。。。と、黄河の河面を眺めながら妙に納得するところもありましたが、話はまだまだ続いたのです。                        (2005-11-16)

冥婚
この地方では、墓は一組の夫婦が合葬されるのが基本で、日本のように「○○家の墓」というかたちはとりません。また、女性は嫁に出すものなので、女性ひとりの墓というものはありません。男性の場合は、12歳以上になっていれば未婚でもひとりだけの墓を作りますが、葬儀というものはなく、簡単に埋葬だけが行われます。

そして(普通は)親が、若くして未婚のままに黄泉の国へ旅立った薄幸の息子のために合葬の相手、つまりお嫁さんを探すことになるのです。これが「冥婚」といわれるもので、同じ風習が朝鮮半島にもあり、日本にもかつては一部の地域にあったと聞いたことがあります。

狭い共同体の中ですから、どの家に未合葬の墓があるかはみんな知っています。近くの村で独身女性の死者がでると、すぐにその家に連絡が入り、親族が死んだ女性の家に駆けつけて、遺体を譲り受けるのです。陰陽師が仲立ちすることもあります。女性の方はひとりでは墓が作れないので、この“縁組”は円満に成立の陽の目を見るわけですが、このときに、一般の結婚と同じように、男性側から女性側に2~3,000元ほどのお金が渡されるそうです。

先に葬られていた男性の遺骸をいったん掘り出し、それをまた女性の遺体といっしょに新しい墓に埋葬して、ようやくその墓は完成するわけです。

先ごろまで私が好んで行った、黄土高原の尾根の散歩道で見かけた墓のなかにも、そんないわくのある墓がひとつやふたつ、あるいはもっとあったかもしれません。一昔二昔前までなら、戦火に散った若い兵士も、病に冒されて帰らぬ人となった少女たちも数限りなくいたでしょうから。

この話を聞いて私はう~んとうなったのですが、次のサンア老師の話を聞いて、今度は不謹慎ながら、思わず大声で笑ってしまいました。

「大雨が降って一気に増水すると、上流から遺体が流れてくることがあるのよね。私は見たことないけど、今でもときどきあるらしい。それが若い女性や女の子の遺体だと、合葬相手を探している親族に、やっぱり2~3,000元で売れるから、それを専門にしている人も以前はいた。黄河と湫水河が合流する河南坪は、土地の人たちが“財路”って呼んでたくらい多かったのよ」

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写真;右下方から黄河に合流するのが湫水河、手前側が河南坪村、上流側が磧口、対岸は陝西省。李家山村から撮影。       (2005-11-17)           


                          

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